水の気配・・・。
冷たい壁越しに彼女はそれを感じ取った。
一面の灰色の雲、外は雨。豪雨というには優しすぎで、小雨というには激しすぎる。そんな雨のようだ。
ここ最近頻繁に降っている。今年もそういう時期に入ったのだろう。
もっとも・・・私にとって、長続きの雨は特に意味をなすものではなかった。外に出ない私には、雨とは恵みで
も恐れの対象でもない。

しかし、雨が降っていると感じとっただけで、気持ち3割ほど部屋の湿度が増した気がする。
なんとなくブルーな気分になりつつ、彼女は窓もない壁際から離れた。




ここはとある館の書斎。私にとっては広くもなく、狭くもなく、ちょうどいい空間。
今日もまた本に囲まれ、本と戯れる毎日。きっと明日も、そのまた明日も。

「おいで」

その一言を待っていたかのように降りてくる一冊の本。わざわざ取りに行かなくても呼べば来る。
暗く窓もないその室内、僅かな明かりの下でそれを開く。
つらつらと魔導について書かれた本。もう何度読んだことだろう。その内容はすべて把握されている。
結局、読書ともいえない時間でぱたりと閉じた。

「戻っていいわ」

すっと消えるようにそれは戻る、文句の一つもなしに。
私にとって本とは知識を吸収させてくれる友ではあっても、対話をする友にはなりえなかった。
喋る本・・・幻想郷中探せばどこかにありそうな気もするが、少なくともこの書斎にはない。
悪魔や精霊が憑いて喋る本、というのはよく聞く。しかしそれはあくまで本自体が喋っているのではない。
それらを祓い落としてしまえば、そこに残るのは結局ただの本だ。

「そうね・・・我侭の一つでも言ってくれる魔導書ってのも斬新的でいいかも」

まぁ取り立てて欲しいわけではないので思考はそこで終わる。
結局のところ、私は本に囲まれていればなんでもよかった。
それに友と呼べる知り合いがいないこともない。思考の中に巡るその顔を、一人一人思い浮かべる。
100年来の親友でこの館の主でお嬢様、紅い吸血鬼のレミリア=スカーレット。彼女がここにくることは滅多
にないが、何かあったときには一番信頼でき、相談できる相手だと私は思っている。
そしてレミリアの従者、この館のメイド長の十六夜咲夜。この館に住む唯一の生きている人間。私のこともお嬢
様と呼ぶ。たまにこの書斎の掃除や整理を手伝ってもらっていて、掃除の対象は本の略奪者も含まれる。
最後に・・・本の略奪を主に仕事とする、普通の魔法使いの霧雨魔理沙。やってくる時はいつも突然。隠れもせ
ずこそこそもせず、堂々と本を持っていく。しかしちゃんと返しにくる。そして返すついでにまた持っていく。

バンっ

そう、いつもこんな風に扉を開けて・・・

「ようパチュリー、今日はいい物を持ってきたんだ。だから本は持っていくぜ」

・・・やってくる時はいつも突然。魔法使いが現れた。
決して丁寧とは言えない扉の開け方。しかしその無作法さはなぜか嫌いではなかった。
扉を開けるなりいつものように飛び込んで・・・こなかった。
見るは一点、こちらの視線。

「・・・おっと、すまない。来る途中で本降りになってな」

気付いた。彼女はそう一言謝ると、衣服からぽたぽた垂れる雫をぎゅっと絞る。
うん、正解。そのまま入ってきたら、火符で濡れてる服ごと蒸発させるところだったわ。
厳密に言うと扉を開ける前に脱水してほしかったのだが、まぁびしょ濡れというほどではなかったのでよしとする。
でもブルー度は1割追加。

「いい物って何よ」

扉を閉めたのを見計らって返す。

「ああ、パチュリーの喜びそうなものなんだが。香霖のところで見つけたんでちょっと拝借してきたんだ」

香霖のところ・・・たしか幻想郷で古道具屋を営む「香霖堂」というところだ。
普段書斎からは出ないので自ら利用したことはないが、たまに咲夜が面白いものを持ち帰ってくることがあるの
で覚えていた。

「拝借って・・・略奪?」
「失敬な、私は霊夢とは違う。ちゃんと置手紙はしてきたぜ」

留守だったからな、と事もなげに言う。
略奪と大して変わらないと思うのは気のせいか。軽い既視感に店主の気苦労を察した。きっと魔理沙はどこに行
ってもこうなのだ。
見ると確かに魔理沙の手には紙袋が握られていた。きっとその中身が私の喜びそうなものなのだろう。
特に期待をしているわけではない、というか予想がつく。私が喜びそうなものといったら・・・。

「ほら、これだ」

殴れば人が殺せそうなその厚さ。小脇に抱えないと持てそうもないその大きさ。威厳すら感じさせてくれるその
重い色合い。

「見事なまでに・・・本だわ」
「どうだ、すごいだろう。ほれほれじっくり見るがいい」
「・・・・・・」
「すまん調子にのった、のりすぎた。ちゃんと説明するから飛んでる虫を一睨みで落とせそうな目でこっちを見続
 けるのはやめてくれ」

顔をそむけながら、魔理沙は本を掲げて口を開く。

「まぁ、簡単に説明するとだな・・・この本は意思をもっているんだ」
「それは・・・・・・また斬新ね」


正直・・・できすぎたタイミングだと思った。


「信じてないなパチュリー、本当だぜ?」
「あ、いや、疑ってるわけじゃないわ・・・ただ魔理沙がくるまで喋る本のことが頭にあったから、ちょっとびっ
 くりして・・・」
「ほほう、じゃあちょうどいいじゃないか。思う存分に喋らせるがいいさ。礼はこの前貸し渋ってた魔導書2冊で
 いいぜ」

・・・まぁ問題はないだろう。いくら貸し渋っていても、絶対いつかは持っていかれるはずだ・・・魔理沙だし。
もう私の頭の中では、この本が不正所得物だということは完全に忘れ去られ、皮算用をはじめていた。

「でも本当に意思があるんでしょうね、これ」
「それは紛れもない事実だ、保証書も付いてるから間違いない」
「保証書?」

魔理沙から受け取る。シンプルに大きく筆字で『意思をもつ本』と書かれていた。・・・正確に言うとそれだけし
か書かれていない。
この露骨さが逆に真実味を帯びてそうで、なんだかなぁ。
ぽんぽんと厚い表紙を叩いてみる。特に反応はなし。
いくら意思をもっていたとしても、意思表示してくれないとただの本と変わりないと思うのだがその辺どうなんだ
ろう。

「本当に喋るのかしらこの本・・・」
「あー、たぶん喋らないと思うぜ」
「なっ・・・どういうこと、魔理沙?」
「簡単な理由さ。肺がなくて口もなければ声帯もない、構造的に喋られないって事だ」

確かに当たり前といえば当たり前である。しかしそれがわかっていたということは・・・。

「・・・・・・騙したわね」
「私はその本が喋るなんて一言も言ってないぜ、意思をもっていると言っただけだ。可能性はあるかもしれないがな。
 ついでに言うと、私もその本が喋るかどうかは色々と試したんだ」
「・・・どの辺まで試したのよ」
「くすぐっても無駄だったから・・・胡椒をかけてクシャミをさせてみようとした所までだな確か。ああ、結果は今
 想像してる通りだ」

どこに持っていたのか、くるくるぱしっと胡椒の瓶をとりだしてみせる。
本をよく見ると、黒い粒が所々にくっついている。冗談ではなかった。
意思をもっていることが本当ならば、それはあまりにも哀れな姿に思える。情けで胡椒を払い落としてやった。

「まぁ・・・私もいろいろ試しては見るわ」
「なんかわかったら教えてくれよ。っと、もうこんな時間だ」
「あら、もう帰るの?」
「いや、急がないとフランの機嫌が悪くなる。今日は絵本を読んでやる約束なんだ」
「絵本は向かって3番目の棚の一番上」
「ありがたくいただいていくぜ」

言うが速いか、もうその棚の前にいる。まぁ放っておいても大丈夫だろう。
魔理沙が妹様の相手をしている間は妹様が狂乱することもない。心置きなくこの本の謎に迫れるというわけだ。
久しぶりにやる気というものになって、腕まくりなんかしてみる。

「おおっと忘れてた」
「ひゃん、な・・・なによ魔理沙、いきなりびっくりするじゃない!」

いきなり真後ろに沸いて出た魔法使い。手にはもう4〜5冊の絵本が取り揃えてある。なにやらごそごそと懐から
小瓶を出して、その中身の一粒を手のひらに乗せてきた。

「昨日完成した新作の『丹』だ、滋養強壮、魔力増幅、目にも優しいブルーベリーエキス配合で甘さも控えめ。ぜひ
 試してくれ」
「まったくもう・・・」

にやりと笑って扉へ向かう魔理沙。
いろんな意味で優しいというか、隙がないというか。
後ろ姿を見送りながら、少し朱に染まった頬をぴしゃりと叩いて気持ちを切り替える。
とりあえず本。喋るかもしれない本。
机に座って、喋らせる糸口の参考になりそうな本を呼び出す。

「えぇーと、頑なに黙秘を続ける被疑者の口を割らせる方法は・・・」




外は雨。その音がだんだん激しくなり、館を包み、外界から隔離する。


この雨が前兆であるということに、この時パチュリー・・・いや、この館にいる誰もが気付くことはなかった。

 


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