紅魔館を少し外れた森の中、例外なく雨が降り、例外なく魔が蠢く。
不思議なそれの存在に気付いていたのは、紅魔館の住人たちだけではなかった。
彼らもまた、それを感じ取っていた。
鬱陶しいほどにまとわりつく雨。
それに流されてしまったかのように消えたもの。
その原因を探るべく、動いた過程が結果に転じ、言の葉へと紡がれる。

───紅魔館。

それは彼らをざわめかせるには十分な単語だった。










夜は明けたが雨はやまなかった。
分厚い雲に覆われたその空は、夜だと錯覚しそうなくらい暗い。
廊下を歩きながら、少ない窓からチラリと外を見る。

「とてもじゃないけど、洗濯物は乾かないわねこれじゃ」

歩みを止め、ポツリと呟く。しかし廊下に響く足音は止まらなかった。

「こんな雨の日でも乾かせられるものといったら舌くらいだぜ」

後ろからやってくるそれ。振り向かなくてもその口調でだれだか解る。

「そのまま干上がれば、少しは静かになるのかしら」
「ひどい言われようだな、喉が渇いたと言っているんだ私は」
「こんなに朝早く起きてくるなんて、何が狙い?」
「人の話を聞かないメイドめ」
「あなたに言われたらおしまいね」

ザッと相対、片やナイフを構え、片や箒を構える。
距離はそれほど遠くない、投げれば致命傷、撃てば致命傷。

「───やっと気付いたみたいね」
「ああ、昨日は色々余裕がなかったからな・・・教えてくれりゃぁよかったのに」

ナイフを退く咲夜。魔理沙も構えた箒を下ろす。

「怖い怖い、首が飛ぶかと思ったぜ」
「あんたから殺気でも感じればしっかり投げたわよ。みえみえの挑発に乗って乗りまわすのはあの巫女くらい」
「流石は咲夜。まったくもってその通りだ」

少しおどける姿が、今では強がっているように感じられる。
魔理沙と『同じ』状態の咲夜にはそう見えた。
窓辺にもたれるようにして外を見る。昨日と同じ雨がそこにはあった。


「魔法、使えなかったんでしょう?」
「お前も・・・時が操れないんだな」










力が封じられている。
いや、正確には力がなくなっている、と言ったほうが正しいのだろうか。
根本からの消失。咲夜ならば時、魔理沙ならば魔力、それがまったく操れないでいた。
赤い絨毯に敷き詰められた廊下を歩きながら、二人はレミリアの部屋に向かう。

「いつ気付いたんだ?」
「昨日夕食を作っている時よ。持っていくのに時間がかかったでしょう」
「なるほどね・・・レミリアたちはこの事を?」
「真っ先に気付いたのはお嬢様、私が伺いに行った時にはもう知っていらしたわ」
「原因は・・・やっぱり・・・」
「たぶんあんたが考えている通り、他に可能性がないわ」
「マリー・・・」
「・・・・・・」

その沈黙は肯定にしか取れなかった。
がちゃりと、扉を開く音でさえ今は重くのしかかってくる。

「失礼いたします、お嬢様」
「あら、魔理沙だけ?」
「パチュリーはまだ寝てる。昨日の正座がよっぽど堪えたらしいぜ」
「そう、それは悪い事をしたわね」

椅子に座ったまま、咲夜に紅茶を命じる。
人払い・・・というわけではなかった。部屋の中に紅茶を淹れられる道具はある。
現に咲夜もこの部屋で淹れるつもりのようだ。単に喉が渇いていただけなのかもしれない。
魔理沙も便乗して頼むことにする。
お互いに言葉が出ない。何から聞けばいいのか、何から話せばいいのか。

「で、魔理沙はどこまで気付いているの?」
「どこまでも何も、力が使えない、その原因がマリーかもしれない・・・それくらいだぜ」
「そう・・・まぁそれだけわかってれば合格点ね」
「他に何かあるのか?」
「うーん・・・」

レミリアが口篭もる。

「・・・悪戯に話を広めてもアレなんだけどね、今なら私・・・簡単に『死ぬ』わよ」
「・・・・・・は?」

予想外の返答が返ってきた。
そこにどういう意味があるのか、魔理沙にはわからなかった。

「例えば、階段から足を踏み外して下まで叩きつけられる・・・それだけの事で死ぬわ。フランも同じ状態よ」
「ちょっと待て、話が見えないんだが・・・」
「ただ能力が使えなくなっただけじゃないって事よ」

もう一度レミリアの言った科白を確認する。
レミリアの言っている事が本当ならば、能力がなくなってしまうだけでなく、種族として持つ特徴まで
なかったことにされているということだ。
魔理沙の頭に一つの単語が浮かぶ。

「・・・存在希薄」

存在希薄、言うなればそれは、存在根底が相反するモノの衝突による物理作用。
衝突したそれらは互いに打ち消しあい、有から無に果てる。
だがそれは、各個人においてそれぞれに限定的な要因が加わらなければ作用されるものではない。ましてや
今回の場合のように、一度に複数の対象がそれに陥るなど・・・決して、とは言えないがまず起こる事など
在り得ない。

「そう、それが『普通に在り得てしまう』のよ。この結界の中じゃ。もっとも完全な存在希薄・・・
 というわけではなさそうだけど」

もし完全なものだったらとっくに私たちは塵一つも残ってないけどね、と失笑するレミリア。
完全に無に帰すほどの存在希薄は希少で、大抵の場合は存在レベルの低下程度に留まる。
吸血鬼や狼男などの・・・いわゆる魔と称される存在が銀の武器を苦手とするのも、その作用によって
端的に存在が人間レベルまで低下するからである。

「結界・・・?」
「今私たちの館を包んでいる・・・うってつけの『モノ』があるでしょう?」
「・・・雨か」
「意識的に展開しているのか無意識のうちにそれが発生したかどうかは解らないけど、とびきり上等の
 固有結界なのは間違いないわ。存在希薄状態の私たちじゃどう足掻いても壊せないくらいのね。
 結界の力が自然に弱まる・・・待つしかないのよ、雨がやむのを」
「その意味を素直に受け止めれば、雨がやむと元に戻るってことだろ。それなら安心───」
「そう、全てが元通り・・・よ」

咲夜が紅茶を持ってくる。
アールグレイのいい香りが湯気と共に広がる。が、レミリアの最後の科白が気になって、魔理沙は紅茶に
手をつけることが出来なかった。
レミリアも運ばれてきた紅茶を飲もうとはしない。その科白を噛みしめるように考える。

『全てが元通り・・・』


ザァー・・・ザザァー・・・ザザァー・・・


雨の音だけが耳に残る。

「・・・そういうことか」

レミリアも咲夜も答えない。それは全て解っているから、こそなのだろう。

「つまり雨がやんでしまえば、マリーは・・・本に戻る」
「・・・そして、いずれ雨はやむ」
「雨を降らせる事は出来るぜ、パチュリーになら」
「けど今はその力もなくなっている。それに、もし雨を長引かせられたとして・・・私たちはどうなると思う?」
「・・・・・・」
「今この事を知っているのはごく一部だけど、もしこれが幻想郷、いえ、この紅魔館内に広まるだけでも・・・
 私の命を狙う者が何人現れるかしら」
「・・・どうしようもないってことか」
「それだけ私の首が安くないってこと。今の私が言っても説得力ないけど、これが運命よ」

もはや諦めにも似たため息をついて、レミリアも初めて紅茶を口に運んだ。

「マリーを・・・どうする気だ?」

もはやこの状況でマリーが無関係だとは誰も思っていない。
正直、魔理沙はマリーが殺されるかもしれないと思っていた。
マリーを殺してこの結界が解かれるかはわからない。
だがわからないということは、その可能性があるかもしれないということだ。

「・・・まずは入るに入れなくなって盗み聞きしてる人も話に加えないとね。パチェ・・・入ってきなさい」
「なっ!?」

慌てて魔理沙が振り向くと、ゆっくりとその扉が開いた。

「マリーは?」
「ここにいるわ」

その手に引かれて、マリーも部屋に入ってくる。
まだ少し眠いのか、目をごしごしと擦っている。

「パチュリー・・・今の・・・」
「ええ、途中からだけど」

うつむき加減なパチュリー、誰よりもマリーのことを考えていただけに相当なショックだろう。
しかし、そのパチュリーにさらに追い討ちをかけるかのごとく、レミリアはあるモノを床に放る。
カラカラカラ、と乾いた床に響くナイフの音。
滑るようにそれはパチュリーの前で止まる。

「そのナイフの意味をどうとるかはパチェの自由よ」
「おい、レミリア!!」

魔理沙がレミリアに食って掛かろうとするが、咲夜が止める。

「雨がやむまで問題が起こらなければよし、起こってしまった後はパチェの判断に任せる」

パチュリーは無言でそのナイフを手に取り、懐にしまった。

「私の話はこれでおしまい。言わなきゃいけない事全部言ったからすっきりしたわ」

すっかり冷めてしまったわと、紅茶のおかわりを要求するレミリア。
シーンと静まり返り、コポコポと咲夜が紅茶を淹れる音だけが部屋に響く。
バツが悪そうにレミリアは頭をかいた。

「うーん、こんなに雰囲気を悪くするつもりじゃなかったんだけどなぁ」

重い空気。それを打ち破ったのはパチュリーだった。

「たぶん私がレミィでも・・・同じ事を言ったと思う」

虚ろに呟くでもなく、それははっきりと、意思の通った言葉だった。
ちょっと無理にではあるが、柔らかい微笑みを浮かべるパチュリー。
マリーを抱き寄せる。

「だから今やりたいことはできるうちにしたほうがいい、でしょ」

いっそう強く、その腕に力を、優しさをこめて抱く。

「レミィ・・・雨がいつやむかはわかる?」
「それはわからない、一週間後か、二週間後か・・・もしかしたら明日かもしれないわ」
「そう、ありがと・・・じゃあ部屋に戻るわ、マリー、行きましょう」

そう言って、マリーを連れて出て行く。
マリーはマリーで、手を引かれて歩いていく。それはまるで本当の親子のようだった。

「何やってるの魔理沙、パパもいなくちゃダメでしょ」
「え、ん・・・ああ」

レミリアを一瞥する魔理沙。
見ると、レミリアの眼はもう窓の外を見ていた。これは「パチェを頼んだわ」という無言の合図なのだろうか。
ともかく魔理沙もパチュリーに続いて部屋を出た。
その扉が閉まってから、初めて咲夜が口を開く。

「お優しいですね、お嬢様は」
「優しい?・・・どうかしら、でも咲夜にはそう見えたんだ」
「はい、パチュリーお嬢様にナイフをお渡しにはなりましたけど・・・『殺せ』とは一言も仰られませんもの」
「そう・・・とりあえず、もう手の中のナイフは置いておきなさい。私が命じなくても投げそうで怖かったわ」
「ご冗談を」

万が一を想定し、いつ投げろと言われてもいいように隠して持っていたナイフ。
それを、コトリとテーブルに置いた。

「お嬢様、なんだか楽しそうですね」
「昨日フランに同じ事を言われたわ、私って結構顔に出る?」
「ええ、その顔は『いい事を思いついている』顔です」
「・・・仮面でもかぶろうかしら」

二人して窓の外を見る。今だから出来る事。
パチュリーはマリーに、魔理沙はそんなパチュリーに、今ある時を全て捧げるだろう。

「そして私は私の為に・・・いつ照明が消えるかわからない舞台の始まり始まりってところかしら」
「お嬢様、舞台を照らすのは照明だけとは限りませんわ」
「あら、例えば?」
「そうですね・・・観客の笑顔というのはどうでしょう」
「ありきたりね、悪くない答えだけど」

うーん、と伸びをして体中にまとわりつく湿気を振りほどく。
そんなことで振り払える湿気ではないが、何もしないよりはマシだった。

「観客らしく見届ける事にしますか?」
「冗談、一生に一度、あるかないかのチャンスよ。私も舞台で踊りたいわ」
「照明があたらなくとも?」
「どうせあたっても日傘でよける」
「それはごもっとも」

にやりと微笑む紅い悪魔。
スッと差し出された手に、瀟洒な従者が手を添える。

「とっておきのワルツを踊りましょう、暗い舞台の上で、滑稽に見えるくらいの笑顔で」











吸い込まれるような青い、青い瞳。
眼にはしっかりとその姿が映っている。
手には色鉛筆、そして真っ白の紙。

「おーい、マリー・・・これは動いちゃダメなのか?」
「・・・・・・ダメ」
「だそうよ」
「くっ、これは昨日の正座よりハードだ」

妙なポーズをとらされて固まっている魔理沙。
マリーのお絵かきを手伝っているのだ。
ピシッと伸ばされた手が震えている。

「パパ・・・腕・・・少し・・・下がった」

意外に目敏い。
言語もかなり慣れてきているのか、注文が細かい。

「マリー、細かい事を気にしちゃ大きくなれないぜ?」
「大きくないパパに言われても説得力ないわよね、マリー」

クッキーをかじりつつ、魔理沙とマリーを眺めるパチュリー。

「・・・できた」

黄や赤で彩られた魔理沙の絵。落書きにも等しいお絵かきだが、その一生懸命さは十二分に伝わってくる。
頭を撫でてやると、くすぐったそうにマリーは目を細めた。


今のところマリーに変わった様子はなかった。
レミリアとの会話はよくわからなかったようで、特に気にしている風にも見えない。


「おーい、私はもういいのか」
「ご苦労様」
「家族サービスってやつだぜ」

コキコキと肩を鳴らしてそこに座り込む。

「うぃー母さん、茶を一杯おくれ」
「急に老け込まないでよ」

そう言いつつもお茶を持ってくるパチュリー。
それを飲みながら魔理沙はマリーを見る。

「絵が好きなのは誰に似たんだろうかな」

テーブルを睨むようにしている。次はそれを描くようだ。
部屋中に散らかる紙。その一枚一枚にさまざまな絵が描かれている。
紅茶のカップ、ベッドや椅子、魔理沙やパチュリー、描かれたほとんどはこの部屋にあるものだった。
実際このテーブルも描かれるのはもう三度目である。
せめて外に出られれば、もっといろんな絵を描かせてやれるのだが・・・とてもじゃないが外で遊べる天気ではない。
この部屋には窓がついていた。だからこそ外の様子がよくわかる。
雨に遮られ、ここからでは外の景色はまるで解らないという事も。
だから三人でごろごろ遊ぶ。

タッタッタ、少し湿った空気と共に廊下に響く足音。
誰かが部屋に向かってきているようだ。
扉が開かれ入ってきたのは満面笑顔の少女。

「魔理沙〜、遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊ぼう遊んで遊べ」

フランドールだった。
水のように、とまではいかないが、それなりに静かだった空間にいきなり華が咲く。

「おいおい、フラン、今はやばいんじゃないのか?」
「大丈夫よ、確かに力は使えないけど・・・室内事故にさえ気をつけたら遊んでもいいってお姉様が」
「・・・なるほど、で、なんでお前までここにいるんだ、美鈴?」
「咲夜さんにお嬢様の護衛を頼まれたんですよ。もし不穏分子がむかってきたら遠慮なく吹っ飛ばせ・・・と。
 今この屋敷で私より強い人は少ないですから」

微笑みながら、ビシッと蹴りの動作を決め込む。
力がなくなっているのは同じでも、基礎的な体力や接近戦の技術の面で勝っている、ということなのだろう。
確かにまともな体術が扱える分、力のなくなった魔理沙たちよりは強そうだ。

「でも、それならなんで大人しく咲夜のいうこと聞いてるんだ?」

ピシッと美鈴の動きが止まる、蹴りの格好のまま。微笑んでいた口元も引きつる。
どうやら爆弾を投下してしまったらしい。

「反乱を煽るつもりはないんだが、今のお前なら咲夜と互角以上に戦え・・・」

カタカタカタカタカタカタ・・・

震えだした。

「ナイフ、怖い・・・ナイフ怖いナイフ怖いナイフ怖い・・・咲夜さん怖い、勝てない、怖い怖い簀巻き怖い
 微塵切り怖い」
「・・・すまん、忘れてくれ」
「わ、私・・・外で待機してますから・・・何かあったら呼んでくだ・・・さい」

どうやらもう挑んだあとだったようだ。様子から見てコテンパンに負けたのだろう。
フラフラと去るその姿をよく見ると、服の所々が切り裂かれている。
底知れぬ実力に、一度は勝った魔理沙ですら戦慄を覚えた。
恐るべし、紅魔館のメイド長・・・十六夜咲夜。

「ねー、遊ぼーよー、魔理沙」

無視されていると思ったのか、フランドールが魔理沙の背中におぶさる。
魔理沙の視線がフランドールと交じる。
紅いその瞳は、期待に溢れて輝いていた。

「よーし、じゃあフランに一つ頼むとするか」
「え、何、何?」





カリカリカリカリ・・・





不動のフランドール。
テーブルに座らされて一点を見つめる。
その瞳には明らかに退屈の二文字が浮かび上がっていた。

「うー」

唸る事猛獣の如し、そろそろ限界か。

「・・・描けた」
「おお、赤と黄色と不自然に散りばめられた水色が見事にマッチしている、芸術だな」

実はマリーが絵を描くのはそんなに時間がかからない。
時間にしておおよそ五、六分といったところだろうか。
しかしマリーはその短い時間、まったく動かない事を要求してくる。意外に辛い事を、体験者の魔理沙は知っていた。

「進む時間が異様に長く感じた」

そう言ってフランドールが、どっとため息をつく。
まさか絵のモデルになってやってくれと言われるとは思っていなかったのだ。
しかも描き手はマリー。
魔理沙の頼みなら森の一つや二つでも吹っ飛ばせる自信はあるのだが、テーブルの上に座って動かないでくれと
頼まれたのは初めてであった。
今にも噛みつかんばかりの唸り声をあげている。

「いや、すまんすまん。たまにはマリーに違うものもかかせてやりたくてな」
「私は魔理沙と遊びにきたのに、むぅー」

テーブルをガッタンゴットンと揺らし、不満の声を魔理沙に投げかける。
人の行動には何においても優先順位というものが存在する。
魔理沙において、今のその公式は『フランドール<マリー』なのだろう。
魔理沙に遊んでもらえなかったこと、というより、この新参者が自分より優先順位が上だったということが
フランドールにおいてあまり気に入るところではなかった。
しかし、事情をレミリアから聞かされているだけに、強くマリーに敵意は向けられない。

「しかし、妹様も元気ね。雨の日はいつもちょっと気だるい感じだったのに」
「あれ、パチュリーはまだ気が付いてないの?」

やっと自分に注目がきたと、少し胸を張って答えるフランドール。

「なくなったのは力だけじゃなくて、存在に根付いているあらゆる部分もなんだって。だからパチュリーの
 喘息も今はないはずってお姉様が言ってたわ」

言われてみれば、パチュリーはマリーが現れてから一度も咳き込んでいない。
パチュリーの喘息は先天的なもので、どんな魔法をもってしても完治は不可能なものだった。

「・・・まるでこの雨の結界、無菌状態の揺り籠ね」
「あながちそれで間違ってないのかもしれないぜ」

存在希薄の結界によって、あらゆる力が制限され、安全といえばある意味安全なこの空間。まさにそれは
マリーのために用意された揺り籠のようであった。
その中で、何の問題もなく時を過ごすマリー。
二人はそれを見て優しく微笑んだ。

「魔理沙〜、いくよー♪」
「ってうわ、フラン、いきなり飛び掛ってくるな!」
「だって、じっとしてた分は魔理沙に遊んでもらわないとね〜」

甘えるように、しな垂れかかるフランドール。普段は子供っぽいのに、こういう時はいやに妖艶な瞳になる。
いつもならここでパチュリーのジト目攻撃が魔理沙に降りかかるのだが、今その視線はマリーに注がれている。
ちょっぴり寂しい魔理沙だった。

「さぁいっぱい遊ぶよー!」

むんずと手近にあった首根っこを捕まえる。
そしてそのままダッシュ。

「ってこらこらこら、マリーを引きずって部屋の中を駆け回るなぁぁぁ!!」
「マリーをかえしてー」

鬼ごっこはフランの息が切れるまで続いたとか。



「で・・・やけに騒がしいと思ってきてみれば、凄い有り様ね」

レミリア達がやってきた時にはその部屋はずたぼろになっていた。

「いったい誰が掃除すると思ってるんでしょうね」

咲夜が明らかに魔理沙のほうを見ている。
その視線をはずそうと、魔理沙はマリーを盾にしてそっぽを向く。
ピッとレミリアが扉を指して言う。

「そんなに暴れたいなら、外で暴れなさい。私も参加するから」

そういわれた一同は顔を見合わせる。
そしてその視線を一度窓の外に移す。

ザァー・・・ザァー・・・ザァー・・・

外は立派な雨だった。
また一同の視線がレミリアに戻る。

「・・・パチェ、なんで額に手を当ててくるのかしら?」
「熱でもないかと思って・・・」
「失礼ね・・・熱もなければ錯乱してるわけでもないわよ、フランから聞かなかったのかしら、今の私たちは
 雨でも大丈夫だって」
「・・・聞いた気がするが、雨にぬれるのも大丈夫なのか?」
「ええ、この様子だと大丈夫みたい。いつもなら雨ってだけで本能が逃げるんだけど、その感覚も消えてるから」

とても嬉しそうに微笑むレミリア。
それはそうだ。レミリアとフランドールにとって、雨というのは日光と並んで天敵の代名詞。
吸血鬼は大抵の場合において、雨の日には動けない。
だから、雨の日に外で遊ぶということなど絶対に在り得なかった。
もしかしてレミリアは、皆で外で遊ぶタイミングを計っていたのではないだろうか。
後ろに控える咲夜はそんな事を感じ取った。

「たまにはそういうのもいいかもしれませんね」
「咲夜、マジか」
「マジよ。私も洗濯物が乾きにくい事は一旦忘れて、一生懸命童心に戻るわ」

賛成まず一名。

「私も行くー。雨の日に遊べるなんて一生に一回あるかないかだし」
「フランまで・・・」

さらに一名追加。

「・・・・・・ん」
「あらあら、マリーも行きたいの?・・・私も喘息大丈夫だし、たまにはハメはずしてみようかしら」
「・・・マジか」

残った魔理沙に視線が集まる。
この状況で一人残されるのはとても寂しいものがあった。










屋敷の外は暗かった。
まだ昼なのに、空が雲一面に覆われているからだ。
ザァーザァーと降りしきる雨。まだ屋根がある玄関で、七人は立ちすくんでいた。

「い、いざ雨の中に飛び込むと思うと・・・少なからず恐怖感を感じるわね」
「お姉様・・・」

立ちすくんでいるのは主にレミリアとフランドール。
その二人が先頭に立っているせいか、雰囲気で他の者も雨の中に飛び込めないでいた。

「せーのでいくわよ、フラン」
「うん、お姉様」

「「・・・せーの!」」

そして一歩も出ない足。これで五回目だった。
見かねた咲夜が、魔理沙に目配せをする。
その意味を察した魔理沙は、にやりと笑ってOKのサインを送る。

スッとレミリアの隣に出て、手を添える咲夜。

「咲夜・・・」
「舞台はすぐそこです、とっておきのワルツを踊るんでしょう、お嬢様?」

「フランらしくないぜ、こういうのはだな」
「ふぇ・・・?」

ガシッと手を掴む。

「突っ込んでから考えろぉぉぉぉぉぉ!!!」

猛ダッシュ。手を引いたまま猛ダッシュ。
腕に、足に、頬に、凄まじい量の雨粒が当たる。
冷たい雨粒。その心地のよい感覚に、今までの恐怖心が反転する。気持ちいい。

「魔理沙ー!」
「なんだーフラン!?」
「きもちいー!!」
「そりゃーよかったー!!!」

犬のように庭を駆け回る二人。
その姿を見て、マリーもトテトテと雨の中に突っ込む。

「マリー、待ってー」

それを追うパチュリー。
玄関には一人、美鈴が残された。

「うぅ・・・みなさん相手がいていいですねぇ・・・」



レミリアと咲夜は、この雨の中、優雅に踊っている。
近寄り、離れ、また近寄る。しかしその手は決して離れる事はなく、目と目がすれ違い、また交じり合う。

「ふふ、雨の中でも結構踊れるものね」
「気分はどうですか、お嬢様?」

ステップ、ターン。
少し足が縺れかけたレミリアの体勢をカバーするべく、咲夜がクィっと腕をひっぱり抱きとめる。
咲夜に抱かれる事など久しぶりだったのか、目をぱちくり瞬かせるレミリア。
背中は冷たい、けど心地よい雨。
正面は暖かい、咲夜のいい匂い。

「最高よ・・・雨も、咲夜も」
「それはよかったですわ」
「マリーに感謝しなくっちゃ、こんなに素敵な体験が出来たなら、何が起きてもおつりが出せるわ」
「もし咲夜がいなくなっても、ですか?」
「ふふ、咲夜は意地悪ね、そんな事は比べるべくもな───」

「ふはははははは、どけどけ咲夜あぁぁぁぁ!!」
「どけどけお姉様ぁぁぁぁ!!」

そこに暴走車が二台突っ込んできた。
泥水をはじきながらレミリア達のほうに一直線。

ギュオンォンォンォンォン・・・・!!

本当にそんな音がしたかどうかは定かではないが、それらは一瞬で通り抜け、濡れネズミ二匹を濡れマダラ
ネズミ二匹に変える。

「・・・咲夜、今私猛烈に泥団子とやらを作りたくなったんだけど」
「・・・こんな雨の中でもそれなりに硬く作る方法がありますが、どうなさいます?」
「OK、それでいきましょう」

なんだか物騒な話になってきた。


「マリー、そんなに走ると転ぶわよ」
「・・・・・・ん」

ぽてぽてぽて・・・どたっ

お約束をはずさないマリーだった。
これだけ地面がぬかるんでいれば、そりゃ転びもする。
顔から地面に落ちたので、それはもう泥まみれだった。
しかし、雨の勢いが強く、顔についた泥は一瞬で流される。

「ほら、だから言っ───」

浮遊感。自分も転んだのだと気付くのに、数秒かかった。
しりもちをついたが、地面が雨で柔らかくなっていた為、あまり痛くはなかった。
なんとなく起きる気がせず、そのままびしょ濡れの地面に大の字で寝転ぶ。
目を閉じて空を見上げる。雨がとても気持ちいい。
パチュリーにとっても、こんな経験は初めてだった。
服が汚れる事などお構いなしだ。

「・・・・・・大丈夫?」

ずっと寝転んだままだったのを不安に思ったのか、マリーが近寄ってきていた。

「ええ、大丈夫よ。マリーは痛くなかった?」
「・・・・・・ん」
「そう、よかった」

もう少し、この冷たい地面で、冷たい雨を浴びていたい。
そんな気分にさせてくれるこの空間。
マリーも、同じようにコロンと転んで空を見上げる。
ビュンビュンと、流星のように視界の端から入ってきては消える泥団子。
少し離れたところでは、実に楽しそうにレミリア達がそれを投げ合っている。
咲夜の一投が魔理沙の顔面を直撃した。

「なんだかんだで魔理沙が一番楽しそうに見えるわね」

よっぽど咲夜の一投が気に喰わなかったのか。
顔の大きさほどあるのではないかと思われる泥団子を両手に抱えて、レミリア達を追い掛け回している。
どうやって作ったかは謎だった。

「・・・・・・」

くぃっっと袖が引っ張られる。

「マリーもやりたくなったの?」
「・・・・・・ん」

どうやらあの泥の弾幕に突っ込みたいようだ。
遠目から見て面白そうに見えたのだろう。

「喰らえぇ、そこのメイドォォ!!」
「あはははは、楽しー♪」
「ちょっ、あんた、その大きさは反則、反則!!」
「待ちなさいフラン、大人しくぶつけられなさい!」
「ってなんで私の方にばっかり飛んでくるんですか!!狙われてる、私狙われてますか!?」

普段なら賑やかすぎて近寄りがたいその雰囲気も、今ではこちらまで楽しくなってくる。

「いくわよ、マリー」

泥団子を両手に、狙いを定める。
マリーもベタベタの手でそれを掴んで、狙いを定める。

「せーのっ!」

同時に投げる。

ベシャッ・・・

泥団子は綺麗な放物線を描き、見事に魔理沙とレミリアに命中した。

「・・・ほう、パチュリーも弾幕る気まんまんかい?」

またも顔に直撃した魔理沙が、それを拭いながらこちらの方を向く。
目は笑っていなかった。

「・・・マリー、よくもやってくれたわね」

力が使えないのに、その瞳は紅く・・・紅く輝く。
本気になった時の眼だった。

「やばいわマリー、逃げるわよ!」
「・・・・・・ん」

「「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」」



結局、この弾幕大会で最後まで立っていた者はいなかった。










雨。所変わってみんなで玄関に座り込む。
七人が七人とも、びしょ濡れの泥まみれで、お世辞にも綺麗とは言いがたい格好だった。
しかし誰もが満足そうな顔をしている。

「うー・・・服が水を吸って重たいぜ」
「私もよ・・・」

そう言いつつも、魔理沙とパチュリーの顔は笑っていた。

「それじゃあ私は一足先に戻ってお風呂の用意をしてきましょうかね」

そう言って咲夜は扉の方に向かう。

「あ、咲夜さん手伝いますよー」

美鈴もそれに続こうとする、が、それは止められた。
ここでお嬢様たちの護衛をしてなさい、と一人で館に入っていく咲夜。

「向こう一年分くらい遊んだわね・・・」
「疲れたー」
「・・・・・・ん」

レミリアとフランドールとマリーは、寄り添うようにぐったりしている。
なかなかよいスリーショットだった。
マリーの傍にパチュリーが寄ってくる。

「マリー、楽しかった?」
「・・・・・・ん」

表情はあいかわらずだが、とても楽しかったようだ。
変わらない表情からも、少しずつわかるようになってきたパチュリーだった。
マリーを見ていると、その吸い込まれるような青い瞳に、思わず魅入ってしまう。


───雨がやんでしまう前に、この子の笑顔が見られるのかしら・・・


今朝から一度も考えなかったかといえば嘘だった。
なるべく考えないようにしていた。

「やっぱり・・・焦ってるのかしらね」

誰にも聞こえないくらいの声で呟き、コツンと自分の額をこつく。
無駄だと解りつつも、手を空に掲げる。雨どころか、指先の空気すら操れはしない。
すごく自分が無力に見えた。

「パチュリー、笑顔、笑顔」
「え・・・あ・・・」

またぎこちない顔になっていたようだ。魔理沙がまた頬を引っ張ろうと手をわきわきさせている。
そこでギィと扉が開き、咲夜が戻ってきた。どうやら風呂の準備が整ったようだ。
服はもう着替えてある。手にはタオルを数枚。

「とりあえず皆さん足だけは拭いて上がってきてください、あとはお風呂場でどうにかしましょう」
「ごくろうさま、咲夜」
「お風呂も初めてだー♪」
「立てますか、魔理沙さん?」
「ああ、ちょっとだけ手貸してくれ」

立ち上がる面々。
パチュリーもマリーを起こして手を引く。


ザァーーーー・・・ザァー・・・ザザァー・・・


この時・・・紅魔館の住人は誰一人として気付かなかった。


ザァー・・・ザァー・・・


それはほんの僅かであったから。


ザザァー・・・ザザァー・・・


降りつづけていた雨の勢いが・・・。


ザァ・・・・・・・・・・


僅かに、本当に僅かに・・・・・・衰えた。










ドサッ・・・・・・










「・・・・・・マ・・・リー?」
「お、おい、マリー!?」
「マリー・・・マリィーーーーーー!!」




掴んでいた手をスルリと抜けて、マリーが冷たい石畳に倒れた。

雨。それは突然に・・・。



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