やまない雨はない・・・なんて最初に言ったのは誰だろう。
その言葉の先には希望があるはずなのに、今は絶望しか生まれない。

ピトン・・・ピトン・・・

それは雨なのか、涙なのか。

ピトン・・・ピトン・・・

触れる。
冷たいけど暖かい。暖かいけど冷たい。それは相反する感覚。

ピトン・・・・・・・

最後の一滴が落ちる。
その先に残ったのは・・・希望なのか、それとも絶望なのか。
目を開けて見ることができない、なぜ開かないんだろうこの目は。
微かに何かが聞こえる。
見えない何かに向かってジッと耳を立てる。
それは声。聞き覚えのあるその音色に誘われるかのように・・・目が開いた。










「マリー!!・・・げほっげほっ!?」

飛び起きる。起き抜け一番に感じた喉の痛みに、それが夢であったことをすぐ理解した。
しかしその内容がよく思い出せない。思い出せるのはマリーが倒れた瞬間だけである。
おかしい。今はたしか喘息は大丈夫なはず。いや、それより私はいったいどうしたのか。
いろんな疑問が浮かぶが、軽い眩暈と喉の痛みに咽返り、うまく思考が定まらない。
ずきずきと頭が痛み、身体の節々が熱く、少し動くだけでも悲鳴をあげる。
マリーが倒れてからの記憶がまったくなかった。

「起きたか、パチュリー」

安堵の笑みを浮かべて視界に入る黒い影。
魔理沙が傍で椅子に座っていた。
しかし、今魔理沙はなんと言った・・・?

「起きたって・・・私・・・」

周りをよく確認すると、私はベッドに寝かされていた。
いつの間にか身体も綺麗になっていて、服も新しいものになっている。
どうやら看病されていたらしい。それらしき形跡がいくつも残る。
用意されていたのか、魔理沙が水を持ってきながら答えた。

「マリーが倒れたあと、お前も倒れたんだ」
「・・・マリーは? マリーは!?」

手が震えている。しかしそれを止めようなどという考えは欠片にも浮かばなかった。
震えたままの手が魔理沙の肩を掴み、激しく揺さぶる。

「パチュリー、落ち着け」
「ねぇ・・・ねぇ、マリーは? マリーはどこ!?」

魔理沙はこんなに錯乱したパチュリーを見るのは初めてだった。
得たものが大きければ大きいほど、それを失ったときのダメージは想像を絶する。
つまり、パチュリーにとってマリーはもはや・・・。

「・・・パチュリー」
「マリー・・・マリーはどこよ!!」


パァン


頬を打つ乾いた音だけが部屋に響いた。
その音は一切を打ち消し、静寂をもたらす。
少し赤くなった頬を押さえ呆然と魔理沙を見る。その瞳はしっかりと私を捉えていた。
澄んだ鳶色に、狂った紫苑の全てが抱擁される。全ての責に耐えかねたように糸が切れた。

「大丈夫だ、大丈夫だからパチュリー・・・」
「うぅ・・・魔理沙、魔理沙ぁ」

魔理沙に寄りかかり泣きだす。誰かに胸を預けないと座ってすらいられなかった。
大丈夫、大丈夫だと、ただひたすらそれだけを言い続けて魔理沙は優しく撫でてくれる。
それが暖かくて、そのまましばらく私は泣き続けた。


・・・


・・・・・・


「すまなかった、頬痛むか?」
「ん、大丈夫、ごめん魔理沙・・・」

魔理沙の胸から離れる。
痛くはない。まだ僅かに赤く腫れてはいるが、大きかったのは音だけだったようだ。相当加減して打ってくれたのだろう。
おや、もういいのか?とわざとらしくおどける魔理沙をジト目に、今度こそ冷静な目になって口を開いた。

「で、マリーは今どこに居るの?」
「隣の部屋でぐっすり眠ってるよ」

聞くや否やそちらの方向を向く。
厚い壁に遮られた空間。隣の様子を探るのは無理だった。
少し咳き込みつつもその目はじっと壁の向こうを見据え、ベッドが軋む。

「おっと、まだ動いちゃダメだぜ」

ベッドから降りようとした私を魔理沙が止める。
掴まれる力の強さに一瞬強張るが、目を見るとそれが私の体を心配してのものだとわかる。
振り払うことなんて出来るはずもない。しかし、本音が隠せるほど自分は強くない。

「でも、私・・・マリーの顔が見たい」

漏れた言葉に魔理沙がため息をつく。

「会わせない、なんて誰が言った。パチュリーを担いで行くよりマリーを担いで来る方が私が楽なんだ」

そう言うと、魔理沙はもう一度私の頭を撫で笑顔を向けてくる。
初めからそのつもりだったのか、頼もしい顔だ。
だからこの、ふと湧き上がった、いや、既に湧き上がっていたのだがそれから目を逸らしていた事実。
弱くなった自分からは、何故か容易くそれが出──。

「ねぇ、魔理沙」
「ん?」
「・・・・・・もし、雨がやんだ・・・ら・・・」

──そして淀んだ。
馬鹿みたい。最後まで言い切ることも出来ない。
俯いたままでも今魔理沙がどんな顔をしているか、想像するのは難しくなかった。
きっとものすごく困っているだろう。マリーのことなのか、それとも私自身のことなのか・・・それすらもわからない。
ポンポン、と頭を叩かれる。結局それには答えられることはなく魔理沙は離れた。今それに答えを求めるのは魔理沙にも、そして自身にも酷なことだとわかっている。
だから、答えられなくて当たり前。わかってはいたけれど、その魔理沙の戸惑いや優しさがより悲壮な現実を目覚めさせていく。
扉は静かに閉められ、パチュリーの泣き声だけが部屋に残った。





「・・・はぁ」

ノブから手を離す。部屋にいるパチュリーには聞こえないように深くため息をついた。
魔理沙は言えなかった。パチュリーが倒れて目が醒めるまでに、『丸二日』かかった事に。
たった二日・・・だが今の自分たちにとって、時間の経過がもっとも残酷なもの。
パチュリーが眠っている間に出来る事はした。
しかし・・・それでもマリーの状態は一向に回復しなかった。
かつてマリーが歩き回った廊下。触れた手擦り。踏みしめたカーペット。
まだ懐かしむほど空の色が変わったわけではないのに・・・その一つ一つが嫌でも目に映り、焼きついた記憶が鮮明に思い出される。
一歩、一歩。そう距離があるわけでもないのに、なぜこんなにも廊下が長いのだろう。マリーのいる部屋を遠く感じるのだろう。
もう、目の前だと言うのに。手はもう伸びているというのに。

「くそっ、私まで泣いてどうする・・・!」

壁に叩きつけた手が痛みを弾き返してくる。
流れそうになった涙。瞳に溜まり、視界をぼやけさせる。拭う手はもう扉のノブ。
一度その手を離すと、二度と開けられなくなるような気がした。
壁についた手を戻し、乱暴に涙を拭い、ノブをひねる。

ザザザザー・・・ザザザー・・・

開けた瞬間に雨音が聞こえた。少しでも外の様子がわかりやすいように、気づきやすいように、誰かが開けてくれていたのだろう。
その音を聞いて少し安心した。

「あら、パチュリーお嬢様はもう大丈夫なの?」

迎えたのは咲夜。他には誰もそこにいなかった。
いつもならノックがどうのこうのうるさい咲夜も、今はそんな小さなことを指摘したりはしない。

「ああ、目を覚ましたよ。その・・・マリーの様子はどうだ」

咲夜と目が合わせられない。
実は魔理沙は、二人が倒れた日こそ部屋を何度も往復していたのだが、昨日からはこの部屋に一歩も出入りをしていない。
パチュリーの方が心配で、マリーのことを咲夜たちにすべて任せてしまっていたのだ。
しかしそれは建前。なぜこの部屋に近づく事が出来なかったのだろう。自問などしなくても、そんな事は自分が一番よくわかっていた。


マリーが本に戻ってしまう瞬間を見てしまうことが・・・怖かったのだ。


それは、普段の魔理沙からは想像も出来ないくらいの弱気。
もしそれを見ることになったとしても、パチュリーと一緒ならばまだ自分は冷静でいられるかもしれない。
一人でそれを受け止めるのは、限りなく重い・・・。
しかし当のパチュリーも眠り続けていた。

「まったく・・・ずるい父親だぜ」

咲夜たちもそんな魔理沙の心情を悟ってか、無理にこの部屋にこいとは言わなかった。
それが余計に後ろめたさを引きずるのだが、悪いのは自分の弱さだということもわかっている。
ベッドに寝かされているマリーの姿を確認して、ほっと息をついた。

「紅茶、いる?」
「いや、今は遠慮しておくぜ。速達の要請がきてるんだ」
「じゃあやっぱり飲んでいきなさい」

マリーが寝ているベッドに向けた足がずるずると引っ張られ、無理やり椅子に座らされる。
見かけによらず力があった。
いや、自分に力が入ってないだけなのか。
咲夜も魔理沙が席から立とうとしないのを確かめるように一呼吸おき、対面に座り、ポットにお湯が入っているかを確かめる。

「あんた・・・全然寝てないでしょ。パチュリーお嬢様の事で気持ちが焦るのは解るけど、そんなんじゃ運んでる最中に落とすわよ」
「そんなに信用ないか私は」
「余計な心配をされたくないのなら、涙くらいもうちょっと上手く拭きなさい」

ゆっくりと注がれるそれから、ハーブのような爽やかな香りが漂ってくる。
砂糖も入れておくわよ、と、こちらの返事も待たずに入れる。
渡されるティーカップ。それはいつから暖められていたのか、カップ全体から暖かさが伝わってくる。
咲夜が淹れる紅茶では当たり前の事。こんな状況でも自分のやるべき仕事を決して見失ってはいない。目の前のメイドから、普段は見えない芯の強さを魔理沙は見た。
一口。パチュリーの前では流せなかった涙が、今ごろ頬を伝い、溢れ出る。
いい香りと、少しの甘さと、少しの塩辛さとが精神を解し、そこで初めて自分もいっぱいいっぱいだったのだと気づいた。
飲みほしたそれはスッと身体に染み込み、決して自分一人では気付けなかった何かを癒してくれる。
カチャリと、置かれたティーカップが鳴る。
ふと見ると、飲み終わるまで口を開くことを待っていてくれたのか、咲夜はずっとこちらを見ていた。

「どう?」
「ああ、目の醒める・・・いい紅茶だったよ、ちょっと塩ききすぎだったがな」
「希少品入りですもの」

後ろめたさから、どちらかと言えば冷たく聞こえていた声のトーンが、そこで少し柔らかくなったような気がした。
そのちょっとした変化に、ここに来て初めて目と目を合わせる。
いや、咲夜の事だろうから目を合わせられない心情すらも悟ってそういう風に仕掛けたに違いない。
事実勝ち誇ったかのようにニヤリと、しかし優しく笑って続きを紡いだ。

「いつも腹が立つくらい笑顔な黒白魔法使いの涙・・・っていう二度と手に入らなさそうな希少品」

そう言うや立ち上がり、マリーが眠るベッドの方に咲夜は向かう。
眠っているマリーを起こさないようそっと抱き起こし、胸に寄せる。
これは負けていられない。あんなにわかりやすい皮肉を言われては元気になるしかないじゃないか。
ピョイと椅子から飛び降り、肩をならす。

「さてと、マリー様は私が運びますから、あんたはシ−ツでも持ってきなさい」
「いやいや、おかげでいろんなものがどこかに飛んでいった。シーツといわずにベッドごと持っていってやるぜ。よしきたまかせろ」
「そのベッド、重量120kgあるわよ」
「さぁーどんどんシーツを持ってこい」

急に喧しくなった魔理沙に対して軽くため息をつく。しかしその顔は疲れているというより、なにやら安心したような感じであった。
すでに魔理沙の顔に悲壮さは欠片も残っていない。大量に抱えられたシーツに隠れて顔は見えなかったが、それだけは感じ取れた。
もう大丈夫ねと心の中で思いつつ、開けていた窓を閉め、咲夜も隣の部屋に向かった。


普段の咲夜なら、普段の天気ならその時に気付いていただろう。気付けていただろう。
それはこの雨も相まって、遮断され届くことが難しかったから。
しかし確実に、それはこちらに近づいていた。

地を這う音と、咽返るような・・・負の臭い。





ザァーーーー・・・ザァーーーーー・・・





ザァーーー・・・ザァー・・・





暗転。明かりが灯る紅魔館とはうってかわって、水が滴り地は泥濘、薄暗く外敵の侵入を阻み、ひっそり・・・ただひっそりと時が過ぎる幻想の郷の森。
獣も、人も、物の怪でさえ、この中で大手を振って出歩こうとはしない。


・・・・・はずであった。


木々がうねりを上げ、草が倒れ、風に腐臭が混じる。
狂ったように弾ける雨の中で、風が進む音だけが透き通ったように響く。
日が射していればそれはいくつの影を作っただろう。
しかし今、もう一つの己を作る光は分厚く黒い雲に覆われて、よりいっそう這い進む者達の存在を巧妙に隠す。


ザザザザザ、ザザザザザ、ザザザザザ


それは一つの場所へと向かって。


ザザザザザ、ザザザザザ、ザザザザザ


その速度を緩めるものはいない。


ザザザ────ッ・・・!


止まった。一切の停止。
影の出来ない来訪者達はわかっていた。
そこが門である事を。
そこが紅の境である事を。
そこが永遠に紅い幼き月の領域である事を。
これを越えれば引き返せはしない。元より引き返そうと思っている者はいない。

違えた時の歯車は、一度音を軋ませ止り、また何事も無かったかのように・・・。


ザ・・・ザザザザザ・・・!


動き出す。










ドォォォォォオオオン!!

轟音と共に少し揺れる。
その音はパチュリー達がいた部屋にも届いた。

「きゃっ!」
「お、おい何だ今の音!?」
「しっ・・・」

その方角は門の辺り。
咲夜が窓から外を覗く、が、この角度からでは門は見えない。
しかし見えなくとも、考えられる可能性は決して多くはない。

一つ、雨の中の職務に耐えられず、美鈴が癇癪を起こした。
一つ、美鈴が楽しみにとっていたオヤツが長雨でカビていた、八つ当たりに門を殴打。
一つ、外敵襲来、門番ピンチ、っていうか紅魔館大ピンチ。

「・・・」

ちょっと悩んでから部屋から出ることにした。

「おい」

引き止められる。
振り返らずに、扉に手をかけたままその言葉を受け止める。
背中越しに感じる空気を察し、咲夜は口を開く。

「あんたはここにいなさいよ」
「ああ、そのつもりだぜ」
「じゃあ何よ、一応急いでるんだけど」

少し間が空いて、魔理沙はその一言を口に出した。

「・・・気をつけろよ」
「ふん、誰に向かって口利いてると思ってるの」

鼻で笑い、そこで初めて振り向く。
前に見せたような背筋の凍る笑顔でもなく、レミリアに向ける主従の笑顔でもなく、そこに魔理沙たちが見た笑顔は──。

「私は紅魔館のメイド長、メイドらしくゴミを掃除してくるだけよ」

心配は要らない、そんな言葉が十二分に伝わってくる。
それは確かに・・・友に向ける笑顔だった。










玄関に向かい駆ける咲夜。飛ぶことすらままならない今は走るしかない。
この雨の中、外に出て行くのはかなり億劫ではあるが、地の利はこちらにある。なるべく館に入れる前にしとめたかった。
本来室内の方が咲夜にとっては戦いやすいのだが、それは時が止められるからである。力が使えない今、壁や手すりなどの遮蔽物は逆にナイフの軌道を制限する。
幸運にも三日前の雨遊びによって、雨の中での動き方はつかんでいた。
玄関扉に手をかけ、外の様子を探る。
特に派手に暴れているような気配はしないが、それはまだこの館から離れているのかもしれない。門からの距離を考えると十分に有り得る。

「美鈴はもうやられちゃったのかしら」

なんとなく頭に浮かぶが、まぁ死んではいないだろうと軽い気持ちでノブを回した。

「ぃーーーーーーやーーーーーーーーー!!」
「・・・え?」

扉を開けたと同時に耳に迫り来る聞き覚えのある声。
目の前に、美鈴が吹っ飛んできていた。吹っ飛び中の本人は扉にぶつかると思っていたのか、背中越しからだが大泣きしているのがわかる。が、扉を開けてしまった以上、ぶつかるのは扉ではなくこの私だ。
反射的に右手を前に突き出し、迫り来る美鈴の背中に向ける。
トン、と手が軽く触れるか触れないか、その刹那に軸を横にずらし右手だけを残して体を移動させた。といっても、こんな大きさでこんな速度の物体を片手で受け止めるつもりなど毛頭ない。
手に力を込めその服を掴む。一呼吸、腹の下に力を込めそして・・・。

「せいっ」

思いっきり地面に向けて引っ張る。勢いを残したままフォークボールのように軌道が落ちる美鈴。
もちろん服を掴んだままだとその勢いに自分も引きずられそうなので、軌道が変わると同時に手を離す。

ゾザザザザザザザザザザザザザザ!!

「あぢゃぢゃぢゃぢゃぢゃ!!!?」

結果、美鈴が凄い音を立てて地面を滑っていった。耳を劈くような悲鳴に心の中で合掌する。
うまくカーペットが敷いてある所に落ちたとはいえ、その摩擦はかなりのもののようだ。これが剥き出しの石の廊下だったらきっとたぶんミンチだっただろう。
しかしそのお陰で、次第に速度は落ちていき、最終的にプスプスと煙を立てて止まった。

「・・・あぶないじゃないの」
「はひ・・・ふみまふぇんでひたぁ」

微妙に目を回しつつ起き上がる美鈴。その頑丈さに感嘆しつつも今すべきことに遅れはとらない。
必要なのは──情報。

「戦況は?」
「え、あ、はい、私と私兵で数十匹の妖怪と交戦中で私が吹っ飛ばされたところです」

やはり外敵の侵入かとため息をつく。今の報告を鵜呑みにしても二、三十・・・はいるのだろう。考えただけでもうんざりした。
手持ちのナイフを数える。ひのふのみ・・・・。
時を止めての補充が出来ない今、なるべく白兵戦で倒す事が状況的にも好ましい。加えてうんざりした。
もちろん向こうも弾幕ごっこではない故に手加減などできるわけもなく、つまり・・・。

「久しぶりね、こんなまともな殺し合いは」

ガシャン

言い終わると同時くらいに隣で響く割れ音。
玄関脇に置いてある壷にもたれていた美鈴がそれをひっくり返したようだ。いや、ひっくり返したと言うか寄りかかって倒してしまったという感じだが。
美鈴がカタカタカタと壊れた人形のような動きで目線を向けてきている。そこはかとなく顔が青いが、それは壷を割って怒られる事に怯えているというよりも、明らかに私自身に、もっと直接的に向けられている恐怖だった。
自分ではなんとなしに口から出てきた言葉だったのだが、どうやら隣でぼろぼろになってる門番の背筋に何か走ったらしい。

「あ、あのー・・・咲夜・・・さん?」
「何かしら?」

おずおずと、まさに上司に媚び諂う格好でそれを口にしようとする。目に溜まってきた水っぽいものは外で濡れた雨露だと思う、きっと。
無駄話をしている余裕はあんまりないと思うのだが、それはどうしても言わなければいけないことのようだ、潤んだ目が語っていた。

「なるべく出来れば可能な限り解ってると思いますけど罷り間違って冗談半分とかついヤッチャッターとかならまだいいっていうかそれもかなり勘弁ですけどついでにヤッチャッターとかで私に誤射とかしないでください本当にお願いします確かに雨で視界が遮られやすいとか敵も味方も区別がつけにくいくらいテンパってるでしょうけど咲夜さんだけは私の事を見間違えたりしないと言うか見間違えてほしくないと言うかその・・・ね♪」

悲壮な顔で、しかしそれを無理して笑顔に作り変えたような顔で一気に捲くし立ててきた。そんな目で見られたら鬼の目にも涙くらい浮かぶだろう。鬼じゃないけど。
此方もなるべく相手が安心するようににっこりと微笑み返す。そう、笑顔は相手を安心させる。とても大事なものだ。

「もしそうなってもあなた唯一の取り得の『根性♪』で避ければ済む話でしょう」
「うっ・・・・・・ぅぁぃ」

美鈴としては出来る限り茶目っ気を効かせて言ってみたのだが、効果は限りなく薄かったようだ。
しかし、返事が濁ったのは天使のような笑顔から悪魔のような一言が出てきた為だけではない。
美鈴は見てしまった。出来れば目の錯覚という事にしたかった。

咲夜の蒼い瞳が・・・陽炎を纏ったかのように確かに紅く・・・一瞬揺らいだ・・・。

「さてと、あの辺りが立て込んでるわね」

すでに半泣きになっている美鈴には我関せず、面倒くさそうに戦地へと向き直る咲夜。
玄関からザッと見た感じ報告通り、つまりは二、三十は最低でもいると思われる妖怪ども。
かなり乱闘に近いこの戦況にあまり突っ込むつもりは無かった。自分たちでないと手に余りそうな奴だけを仕留めればいい。
すぅっと息を一つ。


・・・ギィンッ!


空気が凍る音。実際にこんな音が聞こえたわけではない。ただそれは氷のような冷たく鋭い視線。しかしそこから発せられるのは明らかな殺気。圧倒的なプレッシャー。
視線の先・・・その気に当てられたのか、数匹の妖怪が反応を見せる。ついで言うなら隣にいる美鈴すらも、その殺気によりいっそう顔を青くしながら仰け反っていた。酷い話だ。
その上々なまでに過敏な反応。思わず笑みが漏れた。

「今こっち向いたのがそれなりの奴か、残りはあなたの私兵でも何とか出来るでしょう」

こいつらがただの烏合の衆であれば、それは更に簡単に進む話だ。だが咲夜の感覚でそれはありえないと感じとる。
見た感じただの寄せ集めに見える。実際その通りなのだろう・・・が、それ故の『おかしさ』がそこに存在する。
そう、一見は寄せ集め妖怪どもの暴走なのだが、ただ一つ疑うべき点はそれが『どうして寄せ集まれたか』である。
これは確信だ。必ずこの中に核がいる。
しかも相当に頭が切れるであろう核が。
向こうも先の視線に気付いただろうが、反応したかどうかはわからない。なんたって頭が切れるのだから。
だが何も難しく考えなくていい。此方とて、その頭の切れる核と大してやる事は変わらないからだ。
例えるならチェスの盤上。相手の目的は館からあまり動く気のないキング。こちらの標的もまた烏合の盾で身を隠すキング。

「そしてクイーンは縦横のついでに斜めも無尽、ついてきなさいルーク!」
「ついてはいきますけど・・・本当に手違いとかで殺さないでくださいね。あとルークじゃなくて美鈴です私」

口だけは減らない門番だった。
ダンッと地を蹴り、降りしきる雨の中ナイフを構える。
とりあえず標的は此方に攻撃対象を変えてきた一番近い妖怪。見た目豪腕、身の丈自分の約2倍、力はありそう頭は悪そう。此方と同様に相手側も能力が使えないのが前提なので見た目だけで判断しても大丈夫だろう。
あと問題があるとすれば、ナイフが刺さるか刺さらないかだ。流石に鉄ほど硬い皮膚だとしたらこの細腕で貫く自信は無い。
まだ距離が縮まらないうちに一本ナイフを投げてみる。

コツン

情けないほど軽い音を立てて弾かれた。鉄ほど硬いようだ。相手も全く気にする様子なく此方との距離を縮めてくる。

「まぁ・・・」

零距離。大振りに大振った拳が咲夜目掛けて放たれる。
それは地まで突き刺さり、水気の多い泥飛沫を高く舞い上げ、後方にいた美鈴の視界から咲夜を消した。

「・・・っ、咲夜さん!?」

美鈴は飛び下がるしかなく、舞う泥で視界を奪われないように腕で目を覆う。
あんなもの喰らったら骨どころか身体ごと折れる。まさかあの咲夜さんがまともに喰らっているわけはない、とは思うのがその姿が確認できない。
流石にこれは名前を呼ばれないからって凹んでる場合じゃないと目を凝らす・・・・・・いた。泥の合間合間から見えた姿。地面に突き刺さっている拳の先、丸太ほどもある腕の上にいた。
間髪いれずにそこから跳躍する咲夜。無防備になっている相手の眼前に踊り出る。

「そういう奴は硬くなさそうな個所を狙え・・・ってね」

トン、トン、とナイフを刺す。まるでダンスでも踊っているようなリズミカルな一連の流れ。正確に妖怪の眼球を貫いていた。
そのまま相手を飛び越えてぬかるんだ地に足をつける。する必要ないだろうに三回転半捻りを加えての着地だった。余裕だこのメイド。ちょっとでも心配した自分が馬鹿に思えた美鈴だった。
しかし目が潰れたくらいでは死んでない目の前の妖怪、目を押さえて痛がっている。人間サイズなら脳まで達するほどの傷でとっくに絶命しているのだろうが、巨体で頭もそれ相応に大きい分距離も遠い。つまり・・・。
敵の背後からこちらに向かって「視界は奪ったからトドメはよろしくね」と手を振っているメイドがいてもおかしくないってことになる。
こういうのは人、いや妖怪使いが荒いってことで拒否できるのだろうかと一瞬真剣に考えた。
でも拒否したらしたで一秒後には自分もあれと同じ痛みを分かち合うことになるのは間違いないので考えるだけである。

「さぁ美鈴、そこで痛快門番内臓破壊拳よ」
「せめて寸勁って言ってくださいー!」

いろんな事を諦めつつも、その科白を掛け声に間合いを一気に詰める。
地を滑る音で向こうも反応したのか、やたらめったらに腕を振り回すが流石にその程度で当たるつもりは無かった。
懐に掻い潜り、すでに自分の拳は狙いと一寸。呼吸違わずに打つべし。

「はっ・・・!」

声ごと打ち込むが如く咆哮。一寸の強撃を受けて地に足をつけていられる者などそんなにいない。
それは綺麗な雨飛沫のアーチを描き、咲夜の頭上を越え、派手な音を立てて地面に叩きつけられた。その動きが止まるところまでちゃんと見届ける。もうピクリとも動かない。死んだかどうかはわからないが流石に気絶はしたらしい。
グッと固めた拳を緩める。今の一撃で美鈴は実感した。確かに力は使えない。だが雀の涙ほどくらいは妖怪としての力が戻ってきている。でなければあんなデカブツいくら自分でも吹っ飛ばすのは難しい。

「見事なものね。でも一昨日私に歯向かってきた時よりキレが悪いわよ」
「(自分はこの技ナイフ一本で軽々止めたくせに・・・!)」

もちろんそれが皮肉だと言う事はわかっていた。どうやら咲夜さんも気付いたようだ。
力が戻り始めているという事と、それは決して喜ばしくはないという事。存在希薄の結界が解れてきているという事は即ち、マリーの現状を物語るからである。
軽い言葉を口にするのも、少し動揺した自分を悟られたくないからかもしれない。現に咲夜さんのいつもの柔らかい笑みは消えていた。

「美鈴、後ろ」
「はい、ってうぁあ!?」

振り向くや目が合う。紅い三つ目の妖怪。合う目が一個足りなかった。生まれてから今まで一度も切っていなさそうな爪が嫌なほど目立つ。刺されたら痛そうだ。
いつの間に背後につかれたのかを考える暇もなく身体が反撃を要求する。
刺さると痛そうな方の手は払い、反対の腕の手首を掴み下に引く。待ち構えるのは膝。
乱れた息を一瞬で整え肺から捻り出す。

「フッ・・・!」

一蹴と同時にグシャッ、と顔が拉げる音がする。十分な体勢でもなかったのでかなり荒っぽい技になってしまった。
しかし先のでかい奴のようにこれくらいじゃ意識があるかもしれない、念には念を入れる。
膝にそいつが突き刺さっている体勢から更に両手を振りかざし打ちつける。衝撃と共に膝が重力に乗り、地を衝くと同時に更なる泥飛沫を上げた。

「・・・派手ねぇ」

その泥飛沫で今度は咲夜が美鈴を見失った。
まぁ一発目で三つとも白目向いているのが見えたから大丈夫だとは思う。
これで二体片付けた。残りは四体。数に関して勘ではない。四方から一体ずつ囲まれているからだ。
初めの奴らは実力の秤、といったところだったのだろうか。じわりじわりとその距離を縮め、確実に四角い陣形が狭まってくる。
先の一体を蹴り飛ばした美鈴が駆け寄ってくる。背中合わせになり、此方もなるべく死角を作らない陣形をとる。

「咲夜さん、囲まれてます!」
「わかってるわよそれくらい・・・って待ちなさい」

言ってからおかしいことに気付いた。自分たちは囲まれている。それはまごうことなき事実だ。
しかしこいつらの目的は自分たちではない。それなのになぜ・・・自分たちより館に近い位置にいる妖怪ですら館を目指さないのだろう。
まるで自分たちを館に近づけない為だけにとっているかのようなその行動。考えられる可能性は一つ。

「やられたわ・・・」
「え?」

相当頭の切れる烏合のキングは今ごろ笑っている事だろう。ここにいるであろうそいつの目的は・・・。

「こいつら全員囮よ」
「なっ・・・!」

その科白が聞こえていたか聞こえていなかったかは定かではないが、門の方から二つの影が飛び出してくる。
翼で悠々と空を駈ける者、翼人。
目で追えるくらいのスピードではあるが、相手は上空、ナイフが届いたとしても致命傷を負わせられるとは思えない。
館にはもうまともに、少なくともあの二匹と戦えるものはいないと判断されたからこそ今出てきたのだろう。
この地上の妖怪どもは自分たち・・・つまり我らが紅魔館キングの護衛を焙り出し、かつ館へ戻させないようにする為の駒。しかしこれを罠だと見逃したところで結局こいつらが攻め入ってくる事に変わりはない。敵ながらいい一手だ。
猛スピードで確実に館へとの距離を詰める上空の敵。そして地上の四方にも敵。前者を優先すれば後者にその隙をつかれ、後者を優先すれば前者はなんの苦もなく館へと進入する。こういうのを八方美人と言ったっけか。もてるメイドは辛い。
なんにせよあまり考えている時間は無い。まず口を動かして、その後に身体を動かして、脳を動かすのはその後だ。

「美鈴、三秒ほど無防備になるから頼んだわ」
「そんな無、うわぁ!!」

それに答える事なく跳ぶ。許可も取らずに美鈴の肩を踏み台にして更に高く。
四方の敵が突っ込んでくるのが視界の隅に映ったが、もうそれに向かってナイフは投げていては間に合わない。
今は飛ぶ事だけを考える。もっと高く、もっと高く、今自分が跳べる最上の高さまで、もっと近づくように。素早く右手にナイフを四本用意し、大きく腕を回転させて勢いをつける。運がいい、油断か挑発か、狙いは自分たちのほぼ真上を通る軌道だった。
二周目にかかる腕の回転。崩れそうになるバランスを左腕と下半身の機能を総動員して押しとどめる。タイミングはここ。重要なのはこの一投、この四本を投げきる事。
雨すら視界の邪魔にならないように避けていく感覚。この時この瞬間、力などなくとも、この十六夜咲夜が──。

「──時を刻む!」

自分がいける空間の最頂点・・・腕が千切れんばかりの勢いで振り上げる。手から何の不安もなく滑る四本のナイフ、それらは空を飛ぶ二つの影目掛けて、龍の如く昇った。


フワ・・・ッ!

一度瞬き、ようやく脳が動き出す。
やけに鼻先に風を感じると思ったら、すでに落下が始まっていた。
せっかちな重力だ。跳べばその高さ分落ちるのは道理とはいえ、その先に私を待つモノは地ではなく死。見やると、四匹とも私を狙っている。
どうやら着地させてくれる気はないようだ。美鈴はまだ自分の真下で突っ伏している。今からどう頑張ろうが、四方からの攻撃を全て捌くのは無理だろう。
一匹でも通れば私の身体くらい簡単に貫く。空中でもう一段跳べるなら避けるのは難しくないだろうが、生憎その手品はネタ切れ中である。
さてどうしたものか。もうナイフを用意している間に相手の腕が届きそうな距離。頼みの綱は・・・真下からこっちに向かって蹴り昇ってくる美鈴。

「(・・・今日の美鈴はやけに輝いて見えるわ)」

トッ・・・

地よりも、迫り来る四方からの狂撃よりも速く触れた中空の大地。その意味を誰よりも早く汲み取り、全体重と重力を美鈴の膝に預けて踏み抜く。
「やっぱりこうなるのかー」と美鈴が涙を流していたような気がするが気にしない。

ダン・・・ッ!!

ジャスト三秒。
咄嗟の判断にしてはお互い上出来だ。私は空へ、美鈴は地へ。
足先を掠るかのように四つの影が通り過ぎ、縺れてぶつかり合う。間一髪。
そしてこれは相手側からすれば想定外の一手、此方側からすれば転機の一手。確実に詰みに繋がる神の一手。なんたって・・・。
ナイフを手に用意する。

「キングが動いちゃったんだもの」

そう呟いて咲夜は、構えたナイフを真下にいる四匹の妖怪にではなく、『誰もいないはずの背後』に投げた。ナイフが弾かれる音と共に風を切る轟音。
遅れて振り返る。その正体は『尾』。ピッと服を掠めて通り過ぎていく。先に投げたナイフが僅かでも軌道を変える事に成功したらしい。まともに喰らっていればそれはそれは想像したくない結果になっていただろう。
当たらなくてよかったと心の中で思いつつ、今度は余裕を持って落下が始まる。
とりあえず一旦美鈴と合流したほうが状況は把握しやすい。選り取りみどりな四つの踏み台の中から適当に踏んづけて、今度は地に向かって飛ぶ。美鈴も下敷きになるまいと慌てて飛び出してきた。
雨と共に降りる。今ではもう馴染みすら感じるぬかるんだ大地。滑って転ばないように重心を操りながら着地する。全身ずぶ濡れで動きにくくはあるが、もう今ではそれが普通の感覚になってきた。
たいした効果はないとわかっていても、つい濡れた髪をかきあげる。

「ざぐやざん、だいじょほぶでひべはぁ」
「・・・凄い顔ね」

顔面泥まみれの門番。踏み倒した時に顔から落ちたらしい。でも私は謝らない。
それよりも四つとは別に動くもう一つの気配。もう隠す必要がないと判断したのか、それは目に見えて動き出す。こいつが要は核でありキング。
慌てた様子が一切ないところを見ると、どうやら翼人は撃ち落せていないのだろう。投げたナイフが一本たりとも空から落ちてこないので命中はしたようだが・・・まぁ仕方がない。
館への侵入は二匹。この程度ならば見つからないようにずっと隠れていてくださるのが一番私としては楽なのだが、きっとお嬢様のことだ。「雑魚がいくら来ても無駄無駄無駄ぁ」とか言って堂々と待ってるに違いない。しかも楽しそうに。
まぁ、例えここにいた全ての妖怪が目の前に立ちふさがったとしても、決してレミリアお嬢様が退くことはないだろう。そういう方だ。
悪魔として、スカーレットデビルとしてのプライド。今の状況ではそんなものあまりない方がいいような気もするが、そんなこと言ったって聞く耳なんか持っちゃくれない我が主人。
冷えて動かしにくくなってきた手と、泥にまみれて重くなった服を見る。
この戦い・・・元より長引かせるつもりはなかったが、急ぐ理由がもう一つ増えてしまった。
戦闘独特の緊張感と、いつもより少し無駄な動きを加えることによってごまかしごまかし体温調整をしていた咲夜だが、いい加減それも限界に近づきつつあったのだ。
縺れあっていた四匹の妖怪も起き上がり、それぞれ向き合う。
まだ館に帰す気にはなってくれないらしい。実に念のいった作戦だ。鬱陶しいことこの上ない。

「咲夜さん、ここは私だけでも大丈夫ですから館に戻ってください!」
「強がらないの。それに大丈夫よ、お嬢様は」
「で、でも・・・」

手で制す。もちろん自分も確証なしにそんな無責任なことを言っているのではない。そう思う理由がちゃんとある。
いちいち説明する暇を目の前の妖怪どもが与えてくれそうにないだけだ。決して面倒くさいわけではない。
咲夜は知っていた。
この不完全な存在希薄の結界が有する大きな・・・あまりにも自然に開いていて見えなかった大きな『穴』を。
もちろんそれはお嬢様も知っている。だから100%安全だ、とは言えないにしてもお嬢様が簡単に死ぬなどということはない。
それにその確率を1%でも安全圏に近づけるために、先ほど無理して翼人にナイフを投げつけたのだ。

だからお嬢様はあまり心配しなくて・・・も・・・。

と、そこまで考えて頭をひねる。お嬢様はあまり心配ない、だがもしあの翼人が二手に別れ、一方がパチュリーお嬢様たちの方に向かったら・・・。


・・・

・・・・・・


「(・・・何やらかすかわからないのが一名いたわね)」

もちろん何やらかすかわからない彼女も心配なのだが、それ以上に・・・いろんな意味で嫌な予感が駆け巡る。
どんどん増える急ぐ理由に、咲夜は肩からため息を吐いた。













地下。暗くもなく、明るくもない。飛ぶことに支障がない広さは十分にあるはずなのだが、命を感じさせない石の壁が見た目より狭く感じさせる。
そんな地下の入り口で、なにやらもぞもぞと動く二つの物体があった。

「お姉様ー、全部準備終わったよー」
「・・・・・・」

一人は明るく微笑んでいるが、もう一人は唖然としていた。どちらが唖然としているかは言わずとも。

「えーっと・・・フラン、もう一度聞くわ。これは何かしら?」
「えっとねー、これに引っかかると・・・」

そういうことを聞いているんじゃない。
もういいかげん説明を求めるのも聞くのも嫌になってきたレミリア。妹の口から出てくるその説明は、耳に入ってから脳を通過せずそのまま同じ耳から出ていった。
こんな遊びを覚えさせた張本人であろう魔理沙は後でぶん殴るとして、とりあえず姉として妹には最大のアドバイスを送っておく。

「もうこれで遊ぶのはやめなさい」
「えー・・・でもこれがないと魔理沙と鬼ごっこするとすぐ負けちゃうんだ」
「・・・・・・」

対魔理沙用だったのならまぁいいかと少し思いつつ再考。単なる鬼ごっこ、しかも人間相手にこれらを使用するのはもっと危険なのではないだろうか。どれも命中すれば冥界に直送できそうな代物が揃えられている。
天井から伸びる垂れ下がった紐。中にはあんなふざけたようなものもあるが、引っかかる時は引っかかるのだろう。
足元の床が開いて落とし穴になるか金ダライが頭上に落ちてくるかは自分の知るところではないが。

「魔理沙は鬼ごっこが終わった時、いつもなんと言ってるのかしら」
「えーっと・・・『今日もいい汗かいたぜ』?」
「・・・あっそ」

なんとなく予想していた答えに、もうため息も出なかった。

「とりあえず、お客が到着したみたい。やっぱり人間は使えないわね」

集中していないと見逃しそうだったが、ついさっき二つの気配が館内に入ってきた。二手に別れたのか、その一つがこちらに向かってきている。
グッと拳を握って開く。紅の幻視が、手の平から溢れて零れる。
マリーが倒れてから、僅かずつではあるが力は戻ってきていた。たぶんもう、自分たちは雨に濡れる事は出来ないだろう。
もっとも力が戻ってきているとはいえ、それは運命を見、思い通りに捻じ曲げられる程ではない。せいぜい曲がってスプーンだ。
それでもある程度の戦闘はできそうだが、やはり普段の自分、満月時の自分と比べれば足先の小指の爪にすら劣る。

「でもお姉様は人間のそういうところが好きなんでしょ」
「ふふふ、さぁそれはどうかしら」

フランドールの言葉に微笑みながら答える。
それは半分アタリで半分ハズレ。レミリアの器量はそう狭いわけではないが、それが許せるのは自分が好きな人間だけだった。

「さぁ、そろそろご来客よ。フラン、衣服を整えて」
「はーい」

返事はするものの曲がってる襟を直そうともしない。適当にスカートを撫ぜただけであった。
階段から降りてくる翼がはためく音。それはどれだけ私を楽しませてくれるのだろうか。
不意に咲夜の言葉が思い出される。

───ゲームとは互いが本気でぶつかり合うから面白いのです。

「そうね・・・咲夜」

なんて楽しいゲーム。命をやりとるゲームなど初めてかもしれない。
殺し合いならば常に圧倒的に一方的。
例え腕が飛ぼうと首が離れようと心臓が貫かれようと、最後には必ず相手の方が肉塊へと果てる。
それがスカーレットデビルとしての私。しかし今、そんな無敵に素敵な自分はいない。
今から起こるのは本当の意味での殺し─合い─だ。胸沸き踊らないはずがない。
まったく、マリーが来てからというもの初体験づくしのフルコース。
次に顔を見るときは頭くらい撫でてやってもいいかもしれない。
マリーの頭を聖母のように優しく撫でる紅い悪魔、その姿は客観的に見てとても面白そうだ。やっぱり撫でてやろう。
またこれで一つ楽しみが増えたわけだ。
気配。もうそれはそこまできている・・・にも関わらず扉を開けてこの空間に入ってこようとしないのは、慎重なのかはたまた臆病なのか。
どちらにせよかける言葉は変わらない。

「鍵はかかってないわよ」

その言葉には何の魔力も通っていない。
しかしそれでも扉の向こうの客には、それは十分なほどに注がれたようだ。
心地よく鳴り開く鉄の扉。その音が鳴り止む前に、私を目掛けて鋭い鉤爪が翼と共に振り下ろされる。
振り下ろされるその爪は遅い。いや、人間が相手であるならば簡単に引き千切るくらいの速度はついている。
だが、目の前の羽蟲は誰を相手にしているか、目の前にいるモノの本質がわかっていないようだ。手心か慢心か、どちらにせよそれは気に食わない。
いくら身体能力や幻視能力に制限が加えられているとはいえ、これが全力だというのならただのお遊びにしかならない。
もっとも私にとっては全てがお遊び。生きることも、殺すことも、紅茶を飲むことも。だからこそつまらない遊びは私が許さない。
身を捻る。見切った、というには非常に雑な避け方だが、この程度で十分。逆に詰め寄り顎を掴みあげる。
紅い、紅い瞳で睨みつけ、沸いた不機嫌さを隠そうともしないで顔を近づける。

「そういうわけで、もう少し派手にしてもらえるかしら」

ギリッと手に力を込める。
後ろにいるフランがヒュゥと口笛を吹いて茶化してきた。
いけない・・・普段の私なら、今ので相手の顎は弾け飛んでいた。
何が起こったかわかっていないのか、硬直してしまって足先一歩どころか爪先を一寸すら動かすことも叶わない翼人。きっと赤子を相手にするくらい簡単に弄れると思っていたのだろう。何もわかっちゃいない、私が人間レベルに落ちてやっと同格になれたことを。そして僅かずつ力が戻ってきていることで、決定的な差はもはや体格くらいしかないことを。
そもそものキャパシティがこいつと私とでは違う。互いに1%の力が戻ってきていたとしても、それは決して同じ数字ではない。
手を離し、動かないそいつに背を向けて、フランのいる場所まで下がる。
背を向けたことでやっと解き放たれたのか、我に返ったように再び向かってきた。
そのスピードは初撃とは比べ物にならない。
フランに目で合図をしてから、振り向いて再度その爪を避わす。
今度こそ紙一重。頬を僅かに掠めた風圧が通り過ぎる。
その斬撃に吸い込まれていく一線の紅。指で頬を掬うと、紅がジワリと滲んだ。それでもう不機嫌さは飛んでいったのか、思わず笑みが漏れる。
血よりも紅く湧き上がる衝動。胸に手を当てると、まるで恋にも似た鼓動の高鳴り。

ドクンドクンドクン・・・

こいつをここで今すぐ殺したい。こいつをここで今すぐ八つ裂きにしたい。こいつをここで今すぐ紅に染上げたい。こいつをここで・・・

ドクンドクン・・・ドクン!

力ずくで抑える。少し楽しくなるとつい意識をもっていかれてしまう。カリウムが足りていない証拠だ。
すぐに終わらせては面白くない。私はもっと楽しみたい、楽しみたいのだ。
翼を広げて、トンと翼人の腹を踏み台にし後ろに飛ぶ。
否応なしに高まる衝動を抑えて、一足先に奥へと向かったフランを追った。












一室。いろんなことが一度に起こって混乱しているからか、それとも今置かれている状況に絶望しているからか、明らかに口数が減った二人がそこにいた。
時が止まってしまったかのように進まない部屋の空気。
次に自分が口を開くと言ってしまいそうになる。けれどそれは言わなければならない。

「ねぇ、魔理沙・・・」
「ん、なんだ?」

言葉に出そうとして、やはり躊躇われる。言葉がなかなか続かない。
これは起こるべくして起こった均衡の崩れである。
掃除をしてくると言って出て行った咲夜。魔理沙もこうして・・・守る為に行ってしまうのだろうか。

「「私が覚悟するのが遅いせいで・・・」」

言いかけて言葉が止まる。

「・・・え!?」
「とか思ってるんじゃないだろうな」

軽いため息をついて、魔理沙がパチュリーの胸に手を伸ばす。

「あ・・・!」
「ったく・・・こんなもん硬く握り締めやがって」

魔理沙の手によって、レミリアから渡されたナイフがベッドに落とされる。どれくらい強く握っていたのか、その手は白く血がほとんど通っていなかった。一度緩んだ手には、それを握り戻す力は残っていなかった。呆然としているパチュリーには、魔理沙がそれを拾い上げるのを見ている事しか出来ない。
銀細工が装飾に施されたナイフ。何を思ったのか、魔理沙はすらりとその鞘から抜く。まだ何も斬った事がないと思われるその刀身が、灯りに呼応し怪しく輝く。目が眩みそうになるほどの反射光。それはまさに銀の輝きだった。
魔理沙はこんな目をする人間だっただろうか。殺す事を躊躇しないとでもいうような目。その目が一体何を意味するのか、ナイフを片手に寝ているマリーに詰め寄る。
そこから想像できることは一つ。まさか魔理沙がそんなことをするはずはないと思いつつも、その目が無言で語ってくる。

「い・・・いや・・・」

カタカタと震えが走り出す。突然の事で何がなんだかわからない。精一杯振り絞った自分の声が聞こえていないのか、魔理沙は止めようとはしない。そのナイフをマリーに向けて振り下ろす。

「やめてぇぇぇぇぇぇ!!」

マリーを護るように覆い被さる。トスッと、振り下ろされた刀身が自分の背中にあたった。

「やめて・・・やめて・・・マリーを殺さないで・・・」

泣くように怯え、うわ言のようにそれだけを繰り返すパチュリー。痛みはない、痛む個所があるとするならば、それは心。
パチュリーには見えていた。ナイフが振り下ろされる瞬間、魔理沙が反対の手に持っていた鞘と掏りかえていたのを。その時に魔理沙には全くその気がなかったというのがわかっている。
そう・・・自分が今怯えているのは、それと同じ事をしようと考えていた自分にであった。
心にもないうわべだけの覚悟、そんなものいざ壁に直面すれば簡単に崩れ落ちる。

「私はパチュリーに、そんな覚悟はしてほしくはないぜ」
「・・・・・・」

無言。まだ自分の中で気持ちがこんがらがっているのか、顔をあげようともしない。
今まで何度ついたため息だろう。魔理沙はパチュリーを無理やりマリーから剥ぎ取り、肩を掴み、その両眼をしっかり合わせる。
その目は潤んでいた。パチュリーだけではない、魔理沙の目も潤んでいた。

「しっかりしろ!パチュリー・ノーレッジ!!」
「・・・!?」

今だかつて聞いたことのないほどの魔理沙の大声。
その迫力にパチュリーは、頭の中を巡っていた思考が全て吹き飛ばされる。

「パチュリーはどうしたいんだ、この際私たちのことはどうでもいい・・・『自分』はどうしたいんだ!!」
「私・・・私は・・・」

言葉が続かないが、魔理沙は聞かなくても答えをわかっている。
パチュリーもそれは同じであった。さっきまで繰り返し口に出していた事、それが自分の本当の覚悟だ。
しかし、パチュリーはマリーの親である前に、やはり紅魔館の住人であり、魔理沙たちの友であった。
自分の我侭のせいで紅魔館を、友を失う事になれば・・・それこそ自分は自分を許せない。
その思いがあるからこそ、ここまでばらばらになってしまった自分の心。

「ん・・・」
「!?」
「マリー!」

マリーがうっすらと目を開ける。どうやらさっきの魔理沙の大声で目が醒めてしまったようだった。まぁこれだけ騒いでいれば死人でも起きるというもの。
身体の方は大丈夫なのか、のっそりした動きで起き上がる。目は醒めたものの衰弱している事に変わりはないようで、倒れこむようにパチュリーに抱きついてくる。

「・・・ごめんね、ごめんね」

パチュリーにそれ以上の言葉は出てこなかった。ただただ謝罪を呪のように繰り返す。
それはマリーに向けて、自分に向けて、魔理沙たちに向けて、全てに対する謝罪だった。
そんなパチュリーを見て、マリーの手が動いた。

「・・・え?」

小さな小さな手で、パチュリーの涙の跡を必死に拭こうとするマリー。
それはいつの間に流れていたのだろうか。その両手が頬を覆い、涙の跡を隠す。

・・・むにっ

「・・・いひゃい」

両頬をつねられた。あまりの予想外の出来事に、再度パチュリーの思考は止まる。
いや、今度は完全に全ての問題をその一瞬忘れた。

むににににににににっ!

「い、いひゃいー、いひゃいー!」

より激しく、より強くその手に力がこもる。マリーのどこにこんな力が残されていたのだろうかと思いたくなるくらいのむにむに攻撃。パパ直伝の必殺技だった。

「・・・ぷっ・・・あははははははははは!!」

むにむに攻撃免許皆伝の魔法使いが急にお腹を抱えて笑い出した。
今までどんより暗かった部屋の雰囲気が一転し、生気に満ち溢れる。
笑いによって涙目になった魔理沙が、お腹を抱えたままこちらに声をかけてくる。

「パチュリー、マリーが笑えってさ」
「・・・うみゅ」
「笑わないと今度は父も参戦することになるぜ」

手がわきわきしだした。しかも凄い笑顔だ。
この上魔理沙の力が加わると、きっと凄い顔になってしまう事は簡単に想像できた。
しかし、そんな事はどうでもいい事。ここは無理にでも笑わないと、マリーを不安にさせてしまう。青く澄んだ瞳がじっとこちらを見つめていた。
マリーの方に向き直り、必死に笑おうとする。しかしその目を見ていると、作り笑いすらうまくいかない。こんなに自分は笑顔を作るのが下手だったか、そんなことを考えてしまう。
不意に後ろから脇にかけて手が覗く。その手が誰のものだという疑問はない、幾度となく自分を励ましてくれた見慣れた手である。
くすぐられるかと思いきや、そのまま背中から抱きとめられた。
頬に感じる冷たいマリーの手と、背中に感じる魔理沙の暖かさ。言葉以上の気持ちがそこにあった。
なぜかこの時、余計な思考が浮かぶ事はなく、自然に・・・自分は笑った。

「・・・ん」

パチュリーが笑ったのを確認すると、気が済んだというようにまたその胸に顔をうずめる。やはり目的はパチュリーの笑った顔だったようだ。

「大丈夫だぜ・・・私もパチュリーと同じ想いだから」
「魔理沙・・・」

前後からくる重み。それは今日、初めて感じた心地よさだった。
ずっとこのまま・・・このまま時が止まってしまえばいいのに・・・。
心の底からそう思う。
しかし、不意に後ろからの重みが消えた。
魔理沙が離れたのだ。

「どうしたの、魔理沙?」

問うも答えは返ってこない。部屋の外を一点に見つめている。
扉の外で空を切る音。パチュリーもマリーも体調が良くないせいか、唯一気付いたのは魔理沙だった。
少しずつ、しかしそれは着実に近づいてくる。嫌な臭いを纏った空気がすぐ傍まで来ているのが、壁越しからでも魔理沙には感じ取れた。
咲夜はどうしたのか。そんな不安が魔理沙の胸によぎるが、まず迫り来る何かに対処する事が先決だ。

「魔理沙・・・?」
「しっ・・・とりあえずこれは返しとくぜ」

口に指を当てて、手に持つそれをパチュリーに渡す。それはパチュリーから奪ったナイフ。
魔力が自由にならない以上、それがここにある唯一の武器だった。
今の自分もかなり非力とはいえ、ほとんど動けないパチュリーたちよりははるかにマシだ。
部屋を見渡し確認する。やはりまともに武器と呼べるものはこの部屋には置いていない。
置いてあるのはベッドや机や椅子といった家具、そこで寝泊りするという事だけを考えて揃えられている最低限の装飾、あとは咲夜御用達の紅茶セット。
そこまで考えてハタと閃く。

「いや・・・別にまともな武器じゃなくてもいいんだ。どうせ相手もまともじゃないぜ」

ぶつぶつと独り言を呟く魔理沙。考え方を変えて、もう一度部屋を見回す。
すると不思議な事に・・・魔理沙の目には、この部屋に置いてあるもの『全て』が武器に見えた。


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