紅い廊下を少女が歩く。

「フレイヤー、フレイヤー?」

いくら呼んでもその名の対象はやってこない。
いつもなら絨毯が擦り切れんばかりの速度でやってくるのに。
好戦的な性格ではあるが、それによって自分の仕事を放棄するような妖怪ではなかった。
有給の報告を受けた覚えはないし、ましてや与えた覚えもなし。
よってこの状況はおかしい。

頭をひねって考える

「・・・トイレかしら?」

たったったと軽い足取りで館中のトイレを探して回る。
少女はいまいち脳がなかった。




「こら、暴れるな」
「ゲンイチロ、ダイジョウブカ?」
「あんまり大丈夫じゃないから暴れるなと言っているんだ、痛っ」

肩で羽ばたきやがった。最近のお気に入りはここらしい。
腹に包帯を巻きつつ、こいつを制止するのは大変だということを思い知った。
重度の打ち身、それが昨日の戦いで残った結果となった。
昨日の時点で痛みは退いていたと思ったのだが、それは間違いだったらしい。感覚が麻痺して感じなくなっていた
というのがきっと正しかったのだろう。

「まったく、たいした馬鹿力だ」

今はもう存在しない相手に向かって悪態をつく。
包帯を巻き終わり、その上からとんとんと叩く。うん、これならそこそこの動きはできる。
上着を手にとる。昨日は散らばった鉄を仕込み戻す力も残ってなかったので、それはとても軽かった。
今度また仕込み鉄を拾いに戻らなくてはならない。

「ゲンイチロ、ナンカオチタ」
「ん?」

はらりと上着から舞うそれ。

「ああ、これか」

拾い上げる。一枚の紙切れと白いリボン。

「・・・そういえばずっとしまいっぱなしだったな」
「ゲンイチロ、ナンダソレ?」
「これか、これは写真ってやつだ、食うなよ」

先手を打ってから見せてやる。
そこには一人の女性と一人の少女の姿が写っていた。
写真の少女は腕をめいいっぱいに広げて、その後ろから女性がその少女を抱きかかえていた。
女性のほうは幻一朗と同じくらい、少女のほうは12〜13といったところだろうか。どちらの顔も笑顔で
幸せいっぱいだった。

「コレナニ?」
「ああ、私の妻と娘だ、綺麗かつ可愛いだろう」
「ツマトムスメ・・・オイシイ?」
「・・・食うな」

写真を裏向ける。
そこには自分の字で「Maria&Rumia」と書かれていた。日付も書かれていたのだが、それは擦れて
もう見えなかった。
忘れていたわけではないが、なんとなく懐かしい気分になった。もう一度表を向ける。

「イッショ、イッショ!」
「ん、ああ、そうだな」

自分の金の体毛と娘の髪とが同じ色、ということらしい。
仲間を見つけたとでもいうように、嬉しそうに飛び回っている。
この写真が非常にお気に召したらしい。
両手を広げた娘の姿から、その当時の記憶がよみがえる。

「ああそうだ、確かこの時はマリアがルミアに新しい服を買ってやったんだっけな」
「ゲンイチロ、コレハ?コレハ?」
「ん、ああ」

そいつはいつのまにか白いリボンを咥えていた。

「一応・・・娘の、ルミアの形見の品ってことになるのかな」
「ホホウ」
「大事な物ってことだ」
「ソーナノカ」

絶対にわかっていない声でそいつは頷いた。
そのリボンは私の娘がくれたものだった。娘曰く、妖怪撃退のお守りだったらしい。
特にこれが役に立ったということはないが、持っているだけで生き延びる糧にはなっていた。

「そうだ、特別にお前にこれやろうか?」
「デモコレ、ゲンイチロノダイジナモノ」

ついにこいつは遠慮するということまで覚えたようだ。だんだん思考が人間的になっている気がする。
大事なものとわかってるなら咥えてるのを放せよと思ったが、それはあえて口に出さないことにした。

「まぁ遠慮するなって、ほら、貸してみな」

そう言って首の辺りに飾ってやる。

「おお、結構似合ってるじゃないか」
「オー・・・」

そいつが回ると白いリボンもひらりと舞う。
リボンと嘴の追いかけっこ。

くるくるくるくるくるくるくる

「キュ〜」
「倒れるまで回らなくてもよろしい」

足取りがふらつくそいつを支えてやる。
そういえば娘がこのリボンをつけていた時も同じ事をしたな。
うちの娘はどうやら鴉並みだったようだ。
もう一度写真に目を落とす。そこにはやはり両手を広げた笑顔の娘が存在していた。
こちらまでもが幸せになるようなその笑顔。自分ではわからないうちに、幻一朗も笑顔になっていた。

「あーすまない、今日の散歩はなしにならないか?」
「ドウシテ?」
「あー、腹がまだ痛いんだ」
「ムゥ、イタイナラシカタナイ」

見え透いた嘘だが、嘘だからといってこいつは気にはならないらしい。
外をみると満月。濃い闇の中にそれはぽつんと存在していた。
窓から等しく入ってくるその光を受けとめて、幻一朗はその写真をずっと眺めていた。





「・・・ゲンイチロ、ネタノカ?」
「・・・・・・」

返事はかえってこない。
あれからしばらくして、幻一朗は眠ってしまった。痛いというのも半分は本当なのだろう。
起こさないようにチョンチョンと歩いて幻一朗のほうに寄る。いや、正確には幻一朗に寄ったのではなく、幻一
朗の持つ写真の方へ。

「マリア・・・ルミア・・・」

幻一朗が一度か二度呟いたその名を口にする。
写真を見ていた時の幻一朗は、とても優しい目をしていた。
もちろん自分に向けられている時の幻一朗の目も優しいのだが、それとはまた違う目だった。
写真に写る金髪の少女、たぶんこちらがルミアなのだろう。自分の首に巻かれているリボンと同じものが頭につ
いている。
幻一朗はこれをその少女のものだと言った。

「ナンダロウ・・・」

自分は感じ取っていた。このリボンをつけられた時から、これから伝わる不思議な想いが。
怖いような、懐かしいような、寂しいような、そんな想いがこのリボンから伝わってくる。
それは人間には感じられないのだろうか。自分だから感じられるのだろうか。
結局このことを幻一朗に伝えることは出来なかった。
窓辺に出る。白いリボンが月の光を乗せて、美しく光る。いつのまにかその光は自身をも覆っていたのだが、そ
れには気付かなかった。
ゆっくりと、同調するかのように、そのリボンに意識を染み込ませる。聞こえるはずのない声が、そこに聞こえ
た気がした。


・・・どれくらいそうしていただろうか。いつのまにかあの不思議な感覚はなくなっていた。
その間ずっと誰かの想いを聞いていた気がする。だがそのほとんどを覚えていなかった。

「・・・マァイイカ」

そう言って窓辺から降りようとした・・・が、なんだか体が変だ。異常に重い。

「ア・・・アレ・・・?」

小さい呟きと共に窓辺から落っこちた。




「うごぁ!」

何か大きなものが腹に落ちてきた。呼吸が止まった。痛い腹がさらに痛み、一瞬で目が覚める。
何が落ちてきたんだと眠っていた目をこする。うすぼんやりとした風景とその物体のピントが一致した。

「ル・・・ミア?」
「・・・ウマクオリラレナカッタ」

違う、この喋り方は・・・・。

「ドウシタ、ゲンイチロ」

ゲンイチロは何かを言おうとして、やめて頭を抱える。
口で説明するより速いと思われたのか、磨き上げた鉄を見せてやる。それはとても綺麗で、鏡がわりに使われて
いたものである。
幼い顔立ちがそこに映る。ブロンドのショートヘアー、くりっとした紅い瞳が印象的だった。

「・・・ダレダ、コレ?」
「・・・お前だ」

どうしたらいいかわからないと言うように、再度うなだれる。
鏡に映ったそいつの姿は、写真の少女に瓜二つになっていた。




正直、どこまで考えたものやら幻一朗は困っていた。
原因を究明しようにも、何を基準において考えればいいのかわからない。どうやったら娘の姿になれるというの
だろうか。
とりあえず聞いてみる。

「なんでこんな姿になったんだ?」
「ワカラナイ」

予想通りの答えが、しかも即答で返ってきた。

「ゲンイチロ、ドウシヨ、ドウシヨ?」

こいつはこいつで嬉しそうに小屋の中を飛び回ってる。
突然変わってしまった姿に慣れないのか、壁にぶつかって落ちた。それはそうだ、さっきまでとは体の大きさが違う。

「てゆうか、メスだったのかお前」
「キュゥゥ・・・」

目を回しているそいつに、あまり意味をもたない言葉しか出てこなかった。
どうやら私も多少なりとも混乱しているようだ。
ため息を一つついてから落ち着くことにした。

「ルミア、ちょっとそこに座りなさい」
「・・・?」

言ってからしまったと思った。明らかに今父親の顔で言ってしまった。
よくわかっていないようだが、たぶん自分のことだろうとちょこんと座る。
そういえば自分は、こいつに呼んでやるべき名前をつけてやっていなかった。いまほどそれを後悔したことはない。
名付けてやらなかった理由は・・・少しわかっていた。

私はいつのまにか、こいつを娘と重ねてしまっている・・・。

たぶんそれが正解だろうと思った。
だからけしてこの名はつけまいと思っていた。しかし逆に、この名以外考えられないと思う自分もいた。だから
今まで名を付けてやれなかった。
拾って、癒して、育てて、学ばせて、守って、癒されて・・・それは自分が子供に接していた時とどう違うのだろ
うか。
姿が変わってやっとその考えに辿りついたというのは卑怯な気もする。自分は思った以上に、エゴイストだったよ
うだ。
目の前に座る自分の娘にその名を呼ぶ。

「ルミア、お前の名だ・・・特別に使うことを許可する」
「ルミア・・・」

瓜二つの顔でそう呟く。
正確に言うと、完全に瓜二つというわけではなかった。
ルミアの瞳は青かった。そしてこのルミアの瞳は紅い。それはたぶん鴉だった時の名残だろう。

「ルミア・・・ルミア・・・」

何度も繰り返す。まるでそれを自分に浸透させるかのように・・・。

・・・本来ならばこいつがルミアの姿に変わった時点で、涙を流すなり抱きかかえるなりするのが父親としての
正しい姿だったのかもしれない。
一瞬そうしようという考えも浮かんだことは浮かんだ。だがそれよりも早くに警戒心が・・・先立った・・・。

「すまないな、ルミア・・・」

今はもう亡き天国のルミアを見上げる。今ごろ涙が溢れてきたらしい。上を向いていないと流れ落ちそうだった。

「ゲンイチロ・・・?」

自分のことだと思ったのか、不安そうな目で見つめてくる。

「ああ、大丈夫。お前が悪いわけじゃない」

悪いのはきっと自分なのだ・・・だからもう少しだけ、もう少しだけ・・・

「空の上のあいつたちに・・・お前に詫びさせてくれ・・・」


この日、幻一朗は久しぶりに泣いた。





次の日の夜、私たちは何事もなかったかのように夜の散歩に出る。少し泣きすぎたか、瞼はまだ熱かった。
頭の上をかすめるようにルミアが飛んでゆく。
もうルミアの姿で飛ぶことには慣れたのか、両手を広げて実に楽しそうであった。どうやら写真の格好を真似て
いるらしい。

「あまり無茶はするなよ」
「ンンー」

くぐもった声でそう答える。
どうやらルミアの姿になってから声帯の具合まで変わってしまったのか、あまりうまく喋ることが出来なくなっ
ていた。
前のように喋っていると喉が痛くなるらしい。まぁこちらも日が経てば慣れていくだろうとは思う。
ルミアが首につけていたリボンは髪にとめてやった。白いリボンがひらりと闇に舞う。

「ンンンンー」
「わかった、あまり遠くまで行くなよ」

許可を得たのを確認してルミアは上空に昇っていく。
前までであったら許可はしなかっただろう。
だがあの侍女妖怪を倒してからというもの、この辺りにはさっぱり妖怪の気配はなくなっていた。つまりは安全
ということだ。
一人になったのを確認して、幻一朗はその場に座った。木を背にして空を見上げる。

「しかしまさか・・・こんなところまできて娘ができるとはお釈迦様でも思うまい」

鴉だったルミアを拾ってから、今までのことを思い出すかのように呟く。
自分はこれからどうすればいいのだろう。物事の切り替えは速い自信はあった。
とりあえず今はまだ今までと同じ生活をすればいい。それは確かだった。

「明日はまた昼のうちに食料を探さないとな」
「・・・あら、それは大変ね」


・・・一瞬何が起こったかわからなかった。
不意に前方から聞こえてきた声。気配などまったく感じなかった。
立ち上がって構える。が、そこには誰もいなかった。

「・・・冗談にしては薄ら寒いな」
「冗談を言った覚えはないわよ」

今度は真横。

「くっ・・・!」

振り向く、そこにも誰もいなかった。まったく気配が感じられない。
第一この辺りに妖怪の類の気配はしなかった。
全意識を周囲に集中させる。木々の揺れすらも見逃さない。

「へぇ、貴方ね、うちのメイド長を倒したのは」
「・・・!」

見えた・・・。闇が一転して紅く染まり、紅が集束する。

「はじめまして人間」

そこから現れるその姿は、幼い少女のようだった。夜だというのに日傘を持っている。
その日傘の陰で顔は見えなかったが、どこか不思議な気品が漂っていた。

「・・・お茶を誘いにきたってわけじゃ、なさそうだな」
「面白いことを言うのね」

なぜだろう、この少女からはまったく妖気というものが感じられない。
だからこそ、今私が感じているこの威圧感はなんなのか。思わず後ずさりをしてしまう。
強いとかそういう問題ではない。この少女は・・・やばい・・・。

「別にうちの者を殺した報復ってわけじゃないわ。よくあることではあるし」
「・・・ほう、よっぽど敵が多いんだな」
「世間知らずが多いだけよ」

そう言って日傘を閉じる。その幼い顔立ちは美しいと思えるまでに整っていた。紅い瞳をこちらに向けてくる。

ゴゥ・・・!!

紅い、全てを覆い尽くすほど紅い殺気。今までの空気が嘘だったかのように妖気が張り詰める。
日傘一枚分の覆いがなくなっただけで、ここまで露骨に殺気が感じられるものなのだろうか。
よもや自分の娘より小さいと思われる少女に・・・恐怖を感じると思わなかった。
これがあの侍女を従えていたという悪魔の力なのだろうか。

「貴方のお陰で、その日食事を持ってくる係りがいなかったのよ」
「そいつはすまなかったな」
「まぁ気にしてないわ、私は少食だし・・・だけどそれだけじゃないの」

少女は続ける。

「こんなにもほら、今日の月は紅い・・・珍しく渇いているのよ私。そして目の前には活きのいい食事」

さらに殺気が強まった感じがした。冷や汗が流れてくる。

「あんたと相対した食事とやらは皆おとなしく食われたのか?」
「逃げてもいいけど痛いだけよ」

・・・見抜かれていた。臨戦するように見せかけて、隙あらば逃げてルミアと合流しようと思っていたのだ
が・・・甘かったらしい。
どうやら覚悟を決めなくてはいけないようだ。相手の得体の知れない迫力に気圧されている場合じゃない。

「ただで私が食えると思うなよ、悪魔のお嬢さん!」
「楽しませて頂戴、人間さん・・・!」

ざっと相対する。純粋な大きさで見ると、この少女は前の侍女の妖力などはるかに凌駕しているだろう。勝算
はあるのだろうか・・・。
彼女からどんどん広がってゆく、目を覆いたくなるほどの紅。
昨日のうちに使い切った鉄を拾いにいかなかったのを幻一朗は少し後悔した。




「ンー」

空ではルミアが楽しそうに飛んでいた。今夜はめずらしい紅い月。
風がふわりと暖かい。この姿になってから、前よりいっそう風を感じることが出来た。
つい調子に乗って幻一朗が居たところより大分離れてしまった気がする。とりあえず辺りに妖怪の気配はないの
でよしとする。
この姿は好きだった。なかなか楽しいし、なにより幻一朗が前より笑うようになってくれた。
リボンに触れる。今は触れることのできる手がある。
たぶん、彼女の望みはそれだったのだろう。あの時聞こえた最後の想い。

───お父さんを・・・お願いね・・・

ルミアはそれだけしか覚えていなかった。いや、それだけ覚えていれば十分だったのかもしれない。
黒いスカートが風にそよいだ。あれ以来あの想いはもう聞こえていない。
彼女はもう満足なのだろうか。自分を通して幻一朗に触れることが出来て・・・。

「・・・!?」

そこで思考が中断する。急に辺りを覆い、身の毛もよだつ程の紅い恐怖と畏怖。
直感的に幻一朗に危険が迫っているような気がした。慌ててその元へ戻ろうとするが、幻一朗の気配を隠す勢い
で周辺に紅い気配が充満していて、幻一朗のいる場所が特定できなかった。

「・・・どのへ・・・ん・・・だっけ?」

精一杯の力を振り絞って呟いた言葉は空しく空に響いた。




「いくわよ」

ぞくりと、その一言にこもった殺気を感じる。意外にも、先に動いたのは彼女だった。
すごいスピード・・・というわけではなかった。むしろ遅い。ゆっくりと値踏みをするかのようにこちらに歩い
てくる。
こちらは足が・・・動かない。

「くっ!」

無理矢理に後ろに飛び跳ねる。彼女は何もしていない、だがそれだけで足が軋んだような気がする。

「はぁ・・・はぁ・・・」

息が荒ぶる。なんだというのか・・・この闘いにくさは。
乗り越えた恐怖をさらに恐怖で上塗りしてくるこの存在。向こうは何もしていないのにだ。

眼前にその姿は、もういない

「掴み損ねたわね」

真後ろ、振り返る。何が楽しいのかその少女は笑顔だった。

「血葬法、爆血!!」
「でも・・・」

これ以上ないほどの力を送り込んだ。彼女の心臓が破裂し、鮮血が舞う。
彼女はがくりとうなだれる。しかしその表情は、笑っていた。

「・・・これで掴んだわ、あなたの運命」

ザシュッといやな音を立てて肩が破裂し、さらに血が舞う。

『返された』

瞬時に空間に力を固定し、飛び散ろうとする血液をとどめる。

「貴方の術は綺麗ね」

血まみれの風貌で彼女は言い放った。

「・・・そんなこと初めて言われたよ」
「あら、自分でも気付いていないの?」

クスクスと笑い、指で何か仕草をする。

「そう、まるで貴方の力は紅い糸のよう、私には『見える』わ。今もそれが貴方の血を支え続けているのが」

細く、長く、それでいて繊細で・・・綺麗なまでの紅い糸、そう彼女は言う。

「『見えて』いる限り、掴むのはたやすいことよ!」

肩にとどめていた力が急に消え去る。血が吹き出ると共に激痛が走る。

「うぐぁ!」

今度は『剥がされた』

続け様に不可視の圧力がかかり、後ろに吹っ飛ばされる。
やばい・・・わかってはいたがこれほどまでとは思わなかった。
完全にもうこの悪魔には自分の力は通用しない。力という概念的存在ですらこの悪魔は自由に掴むことができる。
そしてもう自分の力は掴まれている。考える限り、なにをしても剥がされ、返されるだけだろう。
試しに彼女の足元の血だまりに力を集中させる。やはり動かなかった。途中でその力が掴まれている。

考える・・・一つ通用するかもしれない方法はあった。

「・・・あんまりやりたくないな」
「あら、まだ楽しませてくれるのかしら」
「出し惜しみしてるほど余裕がないんでね」

そう言って立つ。際どい方法だが、最悪相打ちは狙えるであろう。

「うぉぉぉぉぉ!!」

吼える。気合注入完了。

「早々最期の大博打だ。覚悟しろよ」
「わざわざ宣言することじゃないでしょう。面白いわね人間は」



・・・幻一朗の相手をしながらも、彼女は気付いていた。
紅い世界に誰かが踏み込んでくるのを。まだ距離は遠いがこちらに近づいてくる。

「・・・誰かしら」

幻一朗には聞こえないくらいの声で呟く。
誰にも邪魔されないようにわざわざ力を見せつけていたのに・・・。

「まだ、楽しめるのかしらね」

フフッと笑みを浮かべる。
とりあえず今は幻一朗の最期の博打とやらを優先することにした。



ルミアは迷っていた。とりあえず恐ろしいほどの力のするこの空間に入ったのはいいが、幻一朗の気配はわからない。
とりあえず直感で進むなと思える方向に行くことにした。
木々をわけ、襲ってくる紅の恐怖に負けじと加速する。

「じゃっ・・・まぁ!!」

その紅は意志をもっているのか、進行を遮るかのようにどんどん濃くなってゆく。
闇の力でぎりぎり通れる範囲にだけ集中し、道を切り開く。そうでもしないとその圧力に押しつぶされそうだった。
だんだんと幻一朗に近づいている。その確信がルミアにはあった。

「あ・・・と・・・すこ・・・し!!」

心の内で弾ける不安をかき消すかのように、痛む喉を押さえてでも叫ぶ。

・・・抜けた!!

ルミアが視線を向ける。無事であろうと思われる幻一朗の方へ。

「げんいちろう!!」





その先には・・・





血まみれになって倒れかける幻一朗の姿があった





「・・・・・・え?」

そんな言葉しか出てこなかった。

「あぶなかったわ、まさか自分の血を刃にして私の首を落とそうとするとわね」

ずるりと幻一朗が倒れる。その影から少女の姿が覗いた。
その手には紅い刃が握られている。しかしそう見えたのも一瞬で、その紅い刃は血に戻りその手を汚す。

「確かに、力を繋ぐ一瞬を止めることは出来ない。そして一度結晶化して飛び出した己の血から力を遮断、この時
点で貴方との因果は なくなりあとは勢いに任せるだけ・・・といったところだったかしら?」

動かない幻一朗に向かってそれは語りかける。

「だけど、その因果を自分で絶ってしまえばもうそれはもとの場所には戻れない。でもね、私は首を切ったくらい
では死なないのよ」

結果貴方の身体から血が失われるだけとなった、と続けて笑った。手に染まった血を舐める。

「げんいちろう・・?げんいちろう・・・?」
「げんいちろうというの、いい名前ね」

ふらふらと駆け寄る。そいつの言葉などもう聞こえない。
揺する、動かない。

「無駄よ、まだ生きてはいるけれど・・・もう彼の運命は終わりかけている」
「げんいちろう・・・おきて・・・!」

この少女に興味なんかなかった。ただ今は幻一朗が動かない。それが怖かった。
その少女はため息をついて、その場を立ち去ろうとする。

「気分がいいからあなたは何もしないでいてあげるわ。げんいちろうに感謝することね」
「・・・・・・!!!」

その一言で何かがはじけた。

「よくも・・・よくも、おとうさんを!!」

それは自分の言葉だったのだろうか、それとも自分の中に在るルミアの想いだったのだろうか。
もうどちらでもよかった。

「うわぁぁぁぁぁ!!!!」

闇の力を身に纏う。
ぴくりとその力に彼女が反応し、動きが止まり振り返る。

「興醒めよ」

ドンッ・・・!!

それだけ言って彼女は去っていく。

「・・・げんいちろう」

リボンが髪からはずれ、宙を舞った。
そのリボンは風にのり、幻一朗の元に舞い落ちる。



「・・・・・・!」

意識が戻る。死ぬ前に意識が戻ったからといってどうだというのだろうか。明らかに命が尽きかけているのがわかる。

「ル・・・ミア」

少し離れたところに横たわっている。生きているかどうかわからなかった。ただ、血だまりはどんどん大きくなっ
てゆく。

「くっ・・・!」

血にまみれた手でリボンを掴み、這うように地面を進む。それだけの事をするだけで身体がおかしいように痛んだ。
たどり着く。死んではいないが、かといって生きられるという保証はないほどの傷だった。
迷っている時間はお互いに残されていないようだ。

「ルミアは・・・娘は死なさん・・・」

息も絶え絶えに座り、残された力で呪詛のように術法を繰り返す。どうせ残り少ない命だ、せいぜい有効活用させて
もらおう。
手のひらから鮮血が滲み、リボンが紅く染まってゆく。
そのリボンをルミアにつけてやった。手の感触に気づいたのか、ルミアが目を開ける。

「・・・おとうさん」

二人のルミアが重なって見える。

「心配ないから、もう少し眠っていろ」
「はぁぃ・・・」
「いい娘だ」

安心したのかそう言って目を瞑ってまた気を失う。
最期の自分は、この娘に笑顔を向けてやれていただろうか。
懐から写真を取り出す。写真の中の少女は笑っていた。

「すまん、私は先に逝くが・・・お前は・・・」

そう言って幻一朗は、写真を握って自分の心臓を貫いた。





深い、暗いまどろみの中、ルミアは彷徨っていた。
冷たく軽くなっていく自分の身体。死んでしまったのだと気付くのにそう時間はかからなかった。
目の前の一人の少女が降りてくる。どこかで見たことの在る姿だった。

ピトン・・・

暗い地面に波紋が広がる。そこに映る自分の姿を見て、わかった。
それは彼女だった・・・。

優しく抱きしめてくる。まるでありがとうと言わんばかりに。
そこに幻一朗もやってきた。まだこんなところにいたのかとため息混じりに笑っている。
頭をわしわしと撫でられて、もみくちゃにされる。そういえば頭を撫でられたのはこれが初めてだった。
あっちのルミアと幻一朗が目を合わせる。

ドクンと・・・急に身体に温度が戻った。

見るとその二人が遠ざかっていく。嫌だ、一緒にいたい。ルミアはそれを追おうとするが、どんどんその距離は開
いてゆく。


ドクン・・・

続けて身体に重みが加わる。自分の体重が戻った。
黒い空を見上げると同時に、ルミアは紅い光に飲みこまれた。





「・・・・・・」

目が覚める。自分はこんなところで何をしているのだろう・・・。
周りを見渡す。そこは森の中だった。
もっと狭い範囲で見渡す。自分は紅い水の中にいた。そばには誰かが倒れている。

「・・・・・・」

思い出せなかった。頭を抱えようとして、何かに触れる。

バチッ・・・!

「・・・っいったぁ〜」

左手に激痛が走った。
血だまりに映る自分の姿を見て確認する。何か紅い布のようなものがついていた。
自分が誰だかわからない。それにお腹が空いた。
とりあえず近くに倒れているやつのそばによってみる。そいつは死んでいた。
食べようと思って手を伸ばす、が、それより速くそいつが握り締めている紙切れに不思議と興味が湧いた。
くしゃくしゃになったその紙切れには、一人の少女が写っていた。もう一人いるようなのだが、血に隠れてわか
らなかった。
血だまりに写った自分と、その少女を比べてみる。似ていた。写真と同じ格好をしてみる。やはり似ていた。

裏を向ける。そこには名前が書いてあった。そちらも血で擦れて一部しかわからなかった。

「ルー・・・ミア?」

何故か読めたその単語。どことなく懐かしい気がする。
それが私の名なのだろうかと考える。しばらく考えてもよくわからなかったので、とりあえず自分はルーミアとい
うことにした。
とりあえずその写真はそいつに返すことにする。

「あ、あれ・・・?」

気がつくと涙を流していた。なんで泣いているのかわからない。
悲しい感情が渦巻く。しばらくルーミアは泣きつづけた。



結局そいつを食べることはしなかった。そいつの顔が、これまでにないというほどの笑顔で死んでいたからだった。
しかし放っておいて誰かに食べられるのは癪だったので、地面に埋めて隠してやった。
手を広げて空へ飛び立つ。夜の空はその涙を跡を拭ってくれるかのように優しい。



彼女は夜空に、黒い大きな翼を広げて、自由気ままに飛んだ。
まるでそれが自分の使命だというように。





「・・・ちゃんと飛んでいったね、お父さん」
「ああ、私の娘は二人とも強い娘だ、それにやっぱりあいつには空を飛んでいるのが似合っている」
「でもちょっと冷や冷やしてたでしょう・・・?」
「あれは・・・私の体が食われそうになったから焦っただけだ」
「食べられてもいいような顔してたくせに・・・」
「・・・むぐ」
「でも・・・名前の読み方間違えちゃってたね」
「文字までは教えてなかったからな・・・ああでも読めたのが奇跡だ」
「でも話題に出す時紛らわしくなくていいかなー。っと・・・それじゃいきましょうお父さん、お母さんも待ってるよ」
「マリアか・・・新しい娘が出来たっていったら勘違いするかな?」
「ビンタ一発くらいは覚悟しよーねー」
「・・・身体は軽いのに気が重い」




さまざまな想いを乗せて・・・今、夜が明けようとしていた・・・
 


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